メモ

史上最も偉大な二重スパイ「ガルボ」がノルマンディ上陸作戦を成功に導くまでの道のり

By [martin]

第二次世界大戦から最大規模の上陸作戦として知られる「ノルマンディ上陸作戦」は、ナチス・ドイツ軍の占領下にあったヨーロッパを制圧する転機となった戦いです。そんなノルマンディ作戦で連合軍を勝利に導くきっかけとなったのは、イギリス側の二重スパイとして活躍した「ガルボ」と呼ばれる1人のスペイン人。そんな彼が一体どのようにしてナチス・ドイツを欺くことができたのかが記されています。

The Greatest Double Agent in History
http://priceonomics.com/the-greatest-double-agent-in-history/

元養鶏農家でスペイン・マドリッドで1つ星ホテルを運営していたスペイン人のフアン・プホル・ガルシアは、「ガルボ」のコードネームを持つ、第二次世界大戦において重要な役割を果たしたナチス・ドイツを欺くイギリス側の二重スパイ。プホルを知る戦争専門家Amyas Godfreyによると、「プホルはジェームス・ボンドではない。彼は禿げていて、退屈で、愛想の悪い男だった」と話しています。

プホルは1930年代のスペイン内戦の経験からアドルフ・ヒトラーのことを「人間性を破壊する悪魔」と呼び、ファシズムを軽蔑していました。

By Bundesarchiv -

彼のスパイ活動を記した「Agent Garbo」の著者ステファン・タルティによると、彼は1941年にマドリッドのイギリス大使館でナチス・ドイツへの諜報活動の提供を申し出たものの、将校は笑ってプホルを追い返したとのこと。

これにめげずにプホルは、自らを「ロンドンへたびたび旅行するスペイン政府関係者かつ国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)のシンパ」としてドイツ人に接触し、イギリスからナチス・ドイツへ情報を送るスパイ・ネットワークの一員として採用されることに成功。

ナチス・ドイツのスパイとして採用された当初は、プホルはイギリスでのスパイ任務を命じられていたものの、持っていた外交旅券が偽造品であったため、ロンドンへ行くことすらできなかったとのこと。代わりに彼はポルトガル・リスボンへ行き、イギリスの観光案内書・イギリス軍に関する参考図書・英語の雑誌などを読みあさった上でドイツへの信頼性の高い偽のスパイ報告書の作成に当たりました。ドイツ軍は報告書を評価してプホルを評価し始める一方で、プホルはイギリスへ無線などを使って連絡を取ろうと試み続けます。

By eltpics

無線の暗号に気付いたイギリスの諜報機関は、この「孤独のスパイ」の捜索を開始。プホルはイギリスとコンタクトをとることができ、スパイ活動の働きを認められたプホルは、ナチス・ドイツの貴重な情報をイギリス軍へ提供する重要な二重スパイとしてロンドンへ移住。当時の人気女優グレタ・ガルボの名前から「GARBO(ガルボ)」というコードネームを与えられました。


プホルはイギリス軍から価値ある情報に見える武力衝突の進捗などを受け取り、消印の日付を使って連絡が遅くなり過ぎないように印象操作を実施。その結果、例えばガルボが「1942年11月、北アフリカにイギリス軍が上陸する」という進軍警告を送った時は、ドイツ人の連絡係から「見事な報告書だったが、到着が間に合わなかったことを申し訳なく思う」と返答が来るなど信頼を得ていたことがわかります。

また、プホルはナチス・ドイツに対して「重大な情報を提供しなかった」と思われないために、偽のスパイを仕立て上げており、ある時は英国艦隊の進軍を報告しないことを決定すると、そのエリアの偽スパイが死亡したと報告。イギリス諜報機関が地方紙にこの偽スパイの死亡記事を報道させたこともあり、ドイツ軍が虚構のスパイの未亡人に恩給の給付を決定したほど。二重スパイ活動を始めて4年が経つころ、プホルはナチス・ドイツとイギリスの両国から絶大の信頼を置かれる存在となっており、プホルは世界で唯一、ヒトラーとドイツ軍最高指揮官に信頼できる「誤報」を与えられる世界で最も偉大なスパイになっていた、というわけです。


プホルの最大の功績はノルマンディ上陸作戦において、連合軍がナチス・ドイツ占領下のヨーロッパに侵攻する「D-デイ」の欺瞞作戦をナチス・ドイツ軍に信じさせることに成功したこと。ヒトラーは連合軍の主要部隊がフランスのパ=ド=カレーに上陸すると確信しており、プホルのアイデアで架空のアメリカ軍第1部隊には実績のあるアメリカ人のジョージ・パットン将軍が指揮に置かれ、ドーバー海峡への配置を装ったとのこと。

プホルが「アメリカ軍がパ=ド=カレー侵攻作戦を進めている」と緊急報告を行ったところ、ヒトラーはこの情報を信じ、ノルマンディへ向かう自軍を引き返させるように命令。これによってナチス・ドイツ軍の強力な2つの装甲師団を2か月間にわたってパ=ド=カレーで足止めすることに成功し、連合軍は本当の侵攻目的であったノルマンディ上陸作戦を有利に進めることができたのです。

By U.S. Department of Defense Current Photos

当時、完全にプホルを信じ切っていたドイツ軍は、なんと、この偽の作戦報告を行ったプホルに対して、戦果を讃える「鉄十字勲章」を与えており、さらにキング・ジョージ6世はプホルにナイト爵位の下の位に当たる「大英帝国勲章(MBE)」を授与。プホルは敵対する2国間から勲章を得るという類いまれな二重スパイを完璧なまでに演じきったということです。


その後プホルはベネズエラに移住し、小さなギフトショップを経営していましたが、1988年にこの世を去ったということです。

この記事のタイトルとURLをコピーする

・関連記事
CIAの元工作員である女性がスパイになった理由・任務・訓練などを明らかにする - GIGAZINE

ロシアの秘密エージェントがスパイグッズを駆使し超重要機密をピザ配達のバイトからあの手この手で奪おうとする「Spy vs Guy」 - GIGAZINE

ファッション界をリードするモデル、洗脳されCIAのスパイに - GIGAZINE

人気マジシャンが1950年代にCIAに伝授した極秘スパイテクニックの数々 - GIGAZINE

犬のフン型発信器から暗号作成機まで、スパイが使ったひみつ道具10選 - GIGAZINE

カメラで前方を撮影してるように見せつつ横にあるものを撮る「スパイレンズ」を使ってみた - GIGAZINE

in メモ, Posted by darkhorse_log

You can read the machine translated English article here.