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映画の予告編の歴史にスポットを当てて成り立ちから教えてくれるムービー「The History of the Movie Trailer」


映画館で本編が始まる前に流れたりテレビCMとして放送されたりネットで公開されたりする予告編は「次にどんな映画が公開されるのか」という情報を教えてくれるものですが、短時間の中に見せ場が詰め込まれていて、ある種これ単体でも1つの作品のようになっています。こうした予告編も映画本編の発展と同じように形を変えながら成長してきたコンテンツであるということで、歴史を事細かに教えてくれるムービー「The History of the Movie Trailer」が公開されています。

The History of the Movie Trailer


こちらは予告編の歴史を手取り足取り教えてくれるJohn P. Hessさんで、予告編の歴史を理解するには、映画がどのように発展したかを知る必要があるとのこと。


世界で初めての映画館は1910年に誕生しました。


当時の映画館にはスクリーンが1つしかなく、現在のシネコンのように「映画1本で鑑賞料金がいくら」という形ではなく、入場料を払えば朝から晩まで好きなだけ映画を見続けることができました。


1913年は多くの映画識者が「映画の予告編元年」と呼ぶ年。


ニューヨークにある映画館で宣伝担当を務めていたニルス・グランランドがブロードウェイで公開されていたミュージカルの1つ「The Pleasure Seekers」のプロモーションムービーを1913年に作成。グランランドが制作したムービーは、自分で見に行ったミュージカルの写真をつなぎ合わせたかなりシンプルなものでしたが、多くの映画館のオーナーの間で好評を得ます。


グランランドがプロモーションムービーを制作したのと同時期に、「当時人気のあった新聞の連載と映画で何かできないか」と考えたのが、シカゴの映画技術者ウィリアム・セリグです。


セリグはChicago Tribuneという新聞社に「映画の連載のようなものを制作できないか」と持ちかけ、「The Adventures of Kathlyn」という15本の短編映画からなる連続活劇を制作しました。連続活劇は約5~10分の長さの短編映画を毎週1本ずつ公開していき、10~15本で完結するというものです。


The Adventures of Kathlynは物語が盛り上がるシーンで突然エンディングを迎えるクリフハンガーという手法をとっており、その続きをChicago Tribuneの新聞紙面に掲載するという形式をとっていました。これが映画の予告編の基礎となるわけです。


そして1916年に映画の予告編が実際の映画館で公開されますが、映画のタイトルや出演者の名前が表示されるだけ、といったシンプルなものでした。


当時は映画の制作だけで多額の費用がかかり、制作会社が配給やプロモーションまでこなすことには限界がありました。そこで、Herman Robbinsという男性が映画の予告編を制作・配給する会社National Screen Service(NSS)を設立します。NSSの業務は予告編を制作し映画館に配給する、というものでしたが、映画を制作したスタジオから予告編を作るための許可を得ていなかったため、批判を受けることになりました。


その後、National Screen Serviceはアメリカ国内の著名な映画スタジオと契約を結ぶことに成功。NSSは映画館から予告編制作を受注し、料金として受け取ったお金の一部を制作会社に支払うことで、利益をあげつつ、映画スタジオとの関係を円滑に進めていたとのこと。


ワーナー・ブラザースやコロンビアなどの映画スタジオは自社内に予告編を専門に制作する部門を立ち上げたりしましたが、NSSは1920年代から1960年代まで予告編制作ビジネス市場を独占している状態でした。


こちらは1942年に公開された映画「カサブランカ」の予告編で、NSSが制作した予告編の1つです。


カサブランカの予告編は下記のムービーから確認できます。

Casablanca (1942) HD trailer - YouTube


1960年、イギリス人のアルフレッド・ヒッチコック監督が映画「サイコ」の予告編を制作。自身が出演し撮影スタジオを案内するという内容を含んだサイコの予告編は好評を得て、映画の予告編市場に新しい風を吹き込みました。


映画「サイコ」の予告編は下記から確認可能です。

Psycho Official Trailer 1960 HD - YouTube


1964年にはスタンリー・キューブリック監督の映画「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」が公開されます。同作品の予告編はシーンの間に一定間隔で文字が挿入される、という独特の撮影手法が取り入れられたことでも話題を呼びました。


映画のシーンと、黒い画面に白抜きの文字がパッパッと切り替わる手法は、今見ても斬新です。


映画「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」の予告編は下記から確認できます。

Dr. Strangelove trailer - YouTube


1970年代に入ると複数のスクリーンがあるシネマコンプレックスがアメリカで増加し、映画の宣伝の1つであるポスターを配置するスペースが激減。同時に、映画の予告編市場を独占していたNSSがじわじわと力を弱めていきます。


1975年、スティーブン・スピルバーグ監督の映画「ジョーズ」がアメリカで公開されました。それまでの映画は大都市の映画館で公開し、その後に地方の小さな映画館で公開するという配給手法をとっていましたが、ジョーズは初めからできる限り多くの映画館で公開する配給戦略を展開。これは当時世界でも初めての試みで、ジョーズは配給戦略に大きな影響を与えたと言われています。


ジョーズの監督にスピルバーグを起用したユニバーサル・ピクチャーズは、ジョーズの宣伝に180万ドル(当時のレートで約5億4000万円)もの予算をつぎ込み、そのうち70万ドル(約2億1000万円)をテレビの宣伝に費やします。宣伝の効果は映画の興行収入に如実に表れ、ジョーズは初週だけで700万ドル(約21億円)、最終的には4億7000万ドル(約1410億円)もの興行収入を達成。


ジョーズの大ヒットで、短期間に巨額を投じて大掛かりな広告キャンペーンを展開する「ブロックバスター戦略」が誕生。ブロックバスター戦略は現在でもほとんどの映画配給会社によって使われています。ブロックバスター映画に欠かせないのが、5000本以上の映画の予告編でナレーターを務めたドン・ラフォンティーヌです。映画の予告編を見たことがある人なら、ラフォンティーヌが独特の声で「In the world」と言っているのを一度は聞いたことがあるはず。


ラフォンティーヌのナレーションを聞くには下記の動画がオススメです。女性が話した内容をラフォンティーヌがアレンジしてしゃべるだけなのですが、まるで映画館にいるかのような気分にさせてくれます。

Don LaFontaine GEICO Spot - YouTube


その後、映画の予告編は流行や観客の要望に合わせて形を変え、現在では映画館やテレビだけではなく、インターネット上でも閲覧できるようになりました。映画館に足を運んだ時、予告編の歴史を知っていると、より一層予告編を楽しめそうです。

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in 動画,   映画, Posted by darkhorse_log

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