サイエンス

「地球は何歳か?」というテーマをめぐって展開された大科学者たちの大激論の歴史

By Beth Scupham

「地球の年齢は?」と聞かれて「46億年」と答えられる博学な人でも、その答えに行き着くまでにどんな歴史があったのかまでは知らないかもしれません。地球の年齢論争には、時代をときめく数多くの科学者が参戦した大激論の歴史がありました。

Science News
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古代ギリシアの哲学者アリストテレスは「地球は恒久の存在である」と考えていました。世界の中心に地球が存在すると考えた宇宙論では、地球が誕生した瞬間などなく、時をさかのぼっても永遠に地球は宇宙の中心にあったと考えられていたのです。

アリストテレス(紀元前384年-紀元前322年)。


アリストテレスの時代から2000年ほど経た、1654年、アイルランドの司教ジェームズ・アッシャーは、聖書の記述をもとに天地創造までの時間を計算し、地球は紀元前4004年に誕生したという結論を導きました(アッシャーの年表)。


アッシャーの年表が公表されたころから、科学者たちが地球の年齢論争に参戦します。1660年代にデンマークの解剖学者・地質学者であったニコラウス・ステノは、サメの歯と化石の形状が類似していることを発見、化石を含む岩層は海底で堆積したものであると推察し、堆積層が下に行くほど年代が古いものであるという「地層累重の法則」を提唱、さらにこの理論をすすめて地層の堆積物から地球の歴史を推測する公式をたてました。「フックの法則」で有名なロバート・フックも、ステノと同様に化石記録が年代記の根拠を形成するだろうということを示唆しました。

ニコラウス・ステノは耳下腺管(ステノ管)を発見したことでも有名。


18世紀になるとジェームズ・ハットンは、地質学のプロセスは、昔も今も同じ力によって起こっていると考え「現在は過去を解く鍵」であるという地球感を提唱し、「始まりの痕跡が見つからない以上、いかなる終わりの兆候も予見できない」と主張しました。これに続いて、チャールズ・ライエルは地質学的な構造が形成され浸食され再び形成されるというプロセスが一定のペースで起こると主張し、地球の年齢は数億年以上という結論を出します。ハットンやライエルの立場は、その後、「斉一説」として広く知られるようになります

地球の誕生に対してさまざまな説が唱えられ、さまざまな年齢が主張され議論が紛糾する中で、ついに盤石の理論武装によって地球の年齢を4000万年前から2000万年前の間のいつかであるとしたのがイギリスが誇る物理学会の至宝ウィリアム・トムソン(のちのケルビン卿)でした。トムソンは、ライエルの主張を理論的でないとして否定し、激しく斉一説を攻撃します。トムソンに代表される当時の物理学者の多くは、「地球は初め溶けていたが冷えることで地表から固まっていった。だが、コア(中心)はいまだに溶けている」と考えていました。しかし「熱力学第二法則」を生み出した希代の天才物理学者は、地球の温度分布の時間変化を計測しフーリエの熱伝導理論も駆使して、地球の年齢を4000万年前から2000万年前の間と推定しました。

科学的業績によりのちに貴族階級に列せられ"ケルビン卿"と称されたウィリアム・トムソン。絶対温度の単位である「ケルビン」は彼にちなんでつけられたもの。


トムソンの主張は、地球の起源を自分たちの専門領域と考えていた地質学会に衝撃を与えます。彼らには自分たちの領域に踏み込んできた物理学者に異論を唱えるだけの強い理論がなく、加えてトムソンの計算は緻密な物理学の理論に基づいた難攻不落の要塞だったからです。さらに、トムソンの推定値は、地質学者だけでなく生物学者にもショッキングなものでした。当時、「進化論」を唱えたチャールズ・ダーウィンにとって、トムソンの言う4000万年は、複雑な生物が進化するには余りにも短すぎる時間だったのです。

トムソンの当初の計算には太陽からの放射熱が考慮されていないという重大なミスがあったことが地質学者トーマス・ハックスレイによって指摘されます。しかしこの地質学者との戦いに、ドイツの物理学者ヘルマン・ヘルムホルツやアメリカの天文学者サイモン・ニューカムが援護射撃をし、地球の年齢の上限が1億年であるとの結論が導かれます。

その後、地質学者は、河の堆積物による地層の形成速度や、河が海に供給する塩分濃度の寄与などを武器にトムソンに応戦しますが、次第にトムソンの「地球1億歳説」に同調する地質学者が増えていき、地質学会は物理学会の軍門に降ることになります。


しかし、20世紀直前にアンリ・ベクレルピエール・キュリー/マリ・キュリー夫妻によって「放射能」が発見され、ここから放射性元素量の分析による地球の年齢測定法が発案されます。これはウランやラジウムなどの半減期が長い放射性物質を含む岩石の放射性崩壊量から岩石の絶対年齢が逆算されるというものです。イギリスのアーサー・ホームズはウランを含む岩石の放射性崩壊量を測定しそこから逆算して地球の誕生を16億年前であるとします。ちなみにホームズは地質学者であり、物理学会の地球1億歳説を覆した地質学者の用いた手法が物理学であるという何とも因果な結果に。

その後、同位体の発見によりホームズの説はより精度を増し、さらに1955年にクレア・パターソンが、キャニオン・ディアブロ隕石の年齢を測定しそこから地球の年齢を間接的に算出しました。これは、隕石は"太陽系形成の残りかす"であることから隕石の年齢を測定すれば地球の年齢を明らかにできるというアイデアを用いたもの。パターソンが出した算出結果は45億5000万年であり、この数字はいまだに変わらない地球の年齢とされています。


こうして、その時代を代表する大科学者たちを巻き込んだ地球の年齢論争はひとまず終了したと考えられています。しかし、将来、この大論争を再燃させる新理論を生み出す天才が現れる日が来るのかどうかは誰にも分かりません。

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in サイエンス, Posted by darkhorse_log

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