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麻薬の売人から全世界で5000万枚以上のCDを売り上げるラッパーとなり、事業家としても大きな成功を収めることになった男

By Jade McClelland

アメリカ生まれのラッパーJay Zは現在43歳で、ビヨンセの夫であり、一児の父親であり、さらにはラッパー、事業家、スポーツ代理人、パフォーマー、映画製作者、作家、ナイトクラブのオーナー、プロスポーツクラブのオーナー、ブロードウェイのプロデューサー、時計デザイナー、美術品コレクター、作曲家などなど非常に多くの顔を持った人物でもあります。現在では世界中の人々から羨望のまなざしで見られる彼ですが、10代の頃はなんと麻薬の売人をやっていたそうです。一体どのようにしてそこから抜け出し現在の地位を確立していったのでしょうか?

Jay Z on Raising Blue Ivy, His Drug-Dealing Past, and Ex-Good-Girl Beyoncé: “She’s Gangsta Now” | Vanity Fair
http://www.vanityfair.com/hollywood/2013/11/jay-z-beyonce-blue-ivy-cover-story

ニューヨークの西25番街にある40/40は、スポーツの試合を観戦に来るファンたちであふれ返すスポーツバーです。このスポーツバーのオーナーであるJay Zは、しばしばこのクラブの大きな部屋で彼のゲストたちと一緒に試合観戦をしたりして過ごします。そのゲストの多くはJay Zの数年来の友人や仲間たちで、Roc Nation Sportsの新しい社長であるJuan Perezや、CAAスポーツの技術顧問William Sydney、政治評論家のJana Fleishman、Jay Zの親友の1人で彼のアパレル会社のパートナーでもあるEmory Jones、Roc NationのマーケティングリーダーのChaka Pilgrimや、Jay Zがかつて社長を務めたデフ・ジャム・レコードの重役Kevin Lilesなどが来たりします。ビジネスマン以外にもNe-Yoやシャーロット・ボブキャッツのポイントガードであるKemba Walkerなど、多くのミュージシャンやアスリートからも慕われているJay Zですが、一体彼の何がジャンルを問わず多方面の人々を引きつけるのでしょうか。

By TomEats

Jay Zの本名はShawn Carter、彼はブルックリンのMarcy Housesにて生まれ育ちました。Marcy Housesはレンガ造りの公共住宅ですが、地面にはゴミが捨てっぱなしになっていたりでどこか気味の悪い建物といった印象だったそうです。ここに住んでいるときのJay Zは消火栓から水をまいたりバスケットボールや自転車で遊んだり、読書や家でテレビ番組のソウルトレインやマイケルジャクソンの歌を聴いて詞を書いたり模倣したりするのが好きだったそうです。しかし、Jay Zが11歳の頃に叔父がナイフで刺されて死亡したことを皮切りに、父親は麻薬中毒になり家族を置いて消え、Shawn自身も内向的になり周りに心を開かないようになってしまい、さらに悪いことに麻薬の売人へと転落してゆきます。

By Josh and Erica Silverstein

彼の生まれ育った地域にはいたるところにコカインがまん延し、低所得者の集まるMarcy Houses内にはコカインの空き瓶や麻薬の常用者がそこら中に存在、ひどく説明しがたい腐敗した空気が充満していた、とのこと。そんな中でJay Zは麻薬を売りはしたが、自分が使用することはなかったと言います。麻薬を作り販売するには誰かが予算の管理を行わなければいけません、そのお金の管理が彼の仕事だったそうです。Jay Zが街を離れてトレントに行った際、そこでは麻薬の価格が2倍にも3倍にも跳ね上がることに気づきます。そこで麻薬を売ることで、地元の麻薬の売人たちよりも多くの金銭を稼ぐことができたようです。麻薬を売り荒廃した街で過ごす、そんな生活からJay Zを救ってくれたのが音楽でした。

Jay Zは「道楽半分に手を出したものが成功するはずはありません。私も最初は音楽で成功できませんでした。完全に音楽に集中する必要がありました」と言います。言葉通り、Jay Zは麻薬の売買からは一切手を引き音楽に集中するようになります。しかし最初はなかなかレコード契約を得ることができなかったそうです。それには「ナイトクラブで口論になり逮捕者が出る騒ぎを起こした」などというJay Zに関する悪評も関わっていました。「ナイトクラブで口論になってナイフが出てくる、こんなことをこれまでどれくらい経験してきたと思いますか?私はそれまでそういった男たちと同じような虚勢を張って過ごしていましたが、これ以上同じことを繰り返していてはいけないということも理解していました」という彼の通り、音楽に真摯に取り組み、自分の過ちを認めることで、Jay Zは成功への階段を一気に駆け上っていったのです。

By Daniele Dalledonne

今では誰もがJay Zはかつて麻薬の売人であったことを知っていますが、彼のことをよく知る友人や家族の存在があるので、そういったことは単なる雑音に過ぎない、とJay Zは語ります。

By skw234567

ラッパーや事業家としても知られるJay Zですが、新たにスポーツ代理人のビジネスに踏み込みます。Jay Zは「現役を引退したスポーツ選手のうち3年後に無一文になっている人がどれだけいるか知っていますか?私はそういった選手たちを助けたい。私は麻薬の売人だったので、金の管理方法ならわかります」と言い、実際にスポーツ代理人としてオクラホマシティ・サンダーのケビン・デュラントと契約したり、ヤンキースの2塁手を務めるロビンソン・カノやニューヨーク・ジェッツのクオーターバックであるジーノ・スミス、ニューヨーク・ジャイアンツのVictor Cruzなどのそうそうたるメンツと契約していきます。これまでにミュージシャンとして多くのレコード契約を勝ち取り、ビジネスマンとしてはブランディングやマーケティング、宣伝などの技術を身につけてきたJay Zですが、豊富な人生経験と彼の魅力が多くのスポーツ選手を引きつけているようです。選手との契約でお金を儲けることにこだわりのないJay Zの存在は、現在他のスポーツ代理人たちにとっての大きな脅威となっている、とのことです。

「Jay Zは暗い暗い貧困や人種差別だらけのところから這い上がってきた純粋な市民の希望の星だ」とWilliam Wesleyは言います。

By Becker1999

Jay Zには他にもブルックリン・ネッツのオーナーとしての顔や、ネッツの新しいロゴをデザインしたデザイナーとしての一面、さらにはBarneys New Yorkとコラボレーションしてホリデーシーズンにハイブランドのアイテムを販売するプロジェクトも進行させていたりします。なお、このプロジェクトの売り上げの25%はJay Z によって立ち上げられた「ショーン・カーター奨学基金」に寄付されることになっています。新しいことに挑戦し続けることがJay Zをミュージシャンやビジネスマンとして大きく羽ばたかせる要因となっているのは間違いないようです。

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in メモ, Posted by logu_ii

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