なぜ映画館でポップコーンを食べるようになったのか?

by Benedetta Anghileri

ゼリービーンズのようにカラフルなトウモロコシが作られたりと、さまざまな形で品種改良されてきているコーンが食べられる最もポピュラーな形と言えば「映画館のポップコーン」です。今では切っても切れない仲になっているポップコーンと映画館の関係はどのように作られたのか?ということをSmithsonian Magazineがまとめています。

Why Do We Eat Popcorn at the Movies? | Food & Think
http://blogs.smithsonianmag.com/food/2013/10/why-do-we-eat-popcorn-at-the-movies/

トウモロコシの起源は8000年前で、現在のトウモロコシとは見た目の異なる、ブタモロコシと呼ばれる雑草が起源だとされています。ポップコーンという名前は穀粒がポンッとはじけることに由来しますが、これは熱を加えた時に内側にでんぷん質とともに蓄えられた水分が蒸気となり膨張し、内側からの圧力に固い外側の組織が耐えられなくなって爆発するため。この特徴は中央アメリカで裁培されたブタモロコシに加えられた最初の変化のうちの1つでした。そしてチリに向かった北アメリカの捕鯨船員がさまざまなポップコーンを発見し、ニューイングランドに持ち帰ったのが北アメリカにポップコーンが伝わった経緯だと考えられています。

一度北アメリカに持ち込まれたポップコーンはまたたく間に広がりました。人々はみなポンポン跳ねるコーンをエンターテイメントだと見なし、1848年までにポップコーンは辞書に載るほど一般的なお菓子となりました。そして文字通り爆発的に広まったポップコーンはサーカスや縁日といったエンターテイメントの場で食べられるようになったのです。実際に、エンターテイメントの場でポップコーンの姿が見えないのはたった1箇所だけでした。それが映画館です。

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ポップコーン人気に拍車をかけたのは1885年にCharles Cretor氏が発明した蒸気によってポップコーンを作る移動可能な機械でした。ポテトチップスなどのお菓子は調理場なしでは作れませんが、移動可能な機械で作れるようにすることで、サーカスや縁日といった場で利用される商業的なお菓子になったのです。さらに他のお菓子にはない魅力としてはじけた時の香りも挙げられます。


しかし、当時の映画館は教養のある人に向けて映画をアピールしており、館内には美しいカーペットやラグが敷いてあったため、ゴミとなるものの持ち込みを許しませんでした。当時は無声映画だったので、映画が上映されている時にポップコーンを食べる音に気をそらせたくなかったのも1つの理由です。

1927年に初めて映画に音声が加えられることで映画館の門戸は大きく開かれます。無声映画では文字を使っていたのですが、音声が加えられることによって読み書きの能力は問われなくなりました。1930年には映画の観客は週に9000万人となり、それに伴ってお菓子の販売などから収益を得られる可能性も増加しました。しかし、映画館のオーナーたちは観客席にお菓子を持ち込むことにまだためらいがあったとのこと。

1929年の世界恐慌が起こると、人々の群れは気晴らしとして映画館に押し入り、そんな時に5~10セントで売られるポップコーンは人々にとっては手に取れる贅沢品だったのです。それに目をつけた商人たちは映画館へと続く道でポップコーンを販売しだし、人々は映画館の外でポップコーンを購入してから映画館に向かうようになったため、初期の映画館にはコートを預ける場所が設けられるようになりました。コートの下にポップコーンを持っていないかチェックするためです。ポップコーンは秘密のお菓子だったのです。

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もう一つオーナーたちがポップコーンの販売に踏み切れない理由として、映画館に適切な換気場所がないということがありました。しかし、観客たちは次々にポップコーンを持って現れ、お菓子を販売するという金銭的な魅力にあらがえなくなったオーナーたちはついに「映画館のロビーでお菓子を販売する権利」を手数料を払った商人たちに与えます。しかし、道で売ると映画に向かう人と通行人の両方にポップコーンが販売できるため、商人たちはこの権利を気に掛けませんでした。

最終的に映画館のオーナーたちは仲介人を打ち負かせば自分たちの利益がうなぎ上りであることに気づきました。多くの映画館ではお菓子の力を借りて不況中でも利益を得ることができましたが、1930年の中頃から、街の映画館は傾きはじめます。映画館チェーンのダラスでは、80の映画館でポップコーンマシンを導入しましたが、最も収益のよい映画館5つはポップコーンマシンを導入するにはハイクラスすぎるとして、マシンを置きませんでした。すると2年もしないうちにそれら5つの映画館の収益が赤字に転じたのです。映画館のオーナーたちはポップコーンが利益へのカギだとついに認めました。

第二次世界大戦はさらにポップコーンと映画館の繋がりを強固にしました。キャンディーやソーダのようなお菓子は砂糖不足に悩まされ、1945年にはアメリカで消費されるポップコーンのうち半分は映画館で食べられるほど、ポップコーンは映画館になくてはならないお菓子となったのです。また、このころ映画が上映される前にコマーシャルが流されるようになりました。最も有名なコマーシャルは1957年に流された40秒の「みんなロビーに行こう」というというもの。コマーシャルによって人々はさらにお菓子を食べるようになりました。

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しかし1960年にテレビが普及することで、映画館の、そしてポップコーンの売上は減少します。道ばたやイベントで簡単に食べられるポップコーンですが、作るのが難しいという理由で家庭では普及していませんでした。この問題を解決したのがEZ PopやJiffy Popと呼ばれるキットで、ポップコーン作りに必要な専用の機械・バター・塩といった材料をすべて含んでおり、容器を火に掛けるだけで家庭でも簡単にポップコーンが作られるようになりました。

1970年代には電子レンジの助けを借りて第二のポップコーンブームがやってきます。レンジのボタンを押すだけで簡単にポップコーンが作れるようになり、家庭で再び食べられるようになったポップコーンはエンターテイメントとポップコーン・映画とポップコーンの伝統的な繋がりを存続させました。ドイツの電子機器メーカーであるNordMendeは「水曜日の映画のスポンサー」という趣旨で電子レンジの広告にポップコーンを使用したほどです。

一方で、ポップコーンと映画の繋がりが映画館の匂い以上に変えたものがあります。それがポップコーン産業自身です。コーンにはホワイトコーンとイエローコーンの2種あり、ホワイトコーンの2倍もコストがかかるイエローコーンは世界恐慌前は普及していませんでした。しかし、映画の観客たちはイエローコーンを好み、バターでほんのり色づけられたポップコーンに慣れきってしまったため、ホワイトコーンは受け入れられないようになったのです。現在市場で使われているホワイトコーンは約10%、残りの多くはイエローコーンで、青や黒のコーンはごく少量となっています。

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古い映画館であるほどポップコーンは重要で、材料費がかからないため、売店の利益率は85%ほどとなっており、これは映画館の収益全体の46%を構成します。近年アメリカでは高級志向の映画館ができはじめ、サンドイッチやパンを扱っているところも増えていますが、iPic TheatersのCEOのHamid Hashemi氏は「永遠にポップコーンはなくならないだろう」としており、「ポップコーンは人々が作ることができる最も安い食べ物であり、なにより多くの人にとって儀式的な体験なのです」と語りました。

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