取材

世界一周バックパッカ―を1年間したらこんな冒険が待っていたまとめ


ナウで世界一周旅行に出ている日本人は推定3000人と言われるぐらい、密かに世界一周ブームな訳ですが、バックパッカ―経験のない初心者がいきなり世界一周に出たらどんなことが待ち受けているのかという367日の全記録です。

皆さんこんにちは。世界新聞社の松崎敦史です。世界一周中のわたくし、現在タイのバンコクにいます。僕の旅も残すところあと3日となりました。

この連載も今回が最終回ということで、少しでも旅行気分を味わっていただきたいと思い、旅のまとめを地域ごとに2~3トピックスづつ時系列でお送りします。

メインのバックパックはマム―ト(最大65リットル)


サブバックを前に抱えてこんな感じで旅をしていました


2011年7月15日。早朝、空港へ向かう心境としては「俺本当に行っちゃうんだ」と思ったら笑いが込み上げてきたといった普通ではない感じです。


茨城空港から春秋航空にて最初の目的地・上海へ。


2011.7.15~11.3
中国・ネパール・インド・シンガポール ※青ラインのルート

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◆覆された中国人のイメージ


最初の国、中国で印象的だったのは人。旅を進めるうちに持っていた中国人像がみるみる崩れていきました。

中国の黄山で同部屋だった中国人大学生。見た目はいかついけど、気の優しいいい奴。


公園で出会った陽気な学生たち。中国人の写真を撮る時のポーズにかける執念は凄まじいものがあります。


チベットで会った青年達は英語がペラペラでした。


本当にたくさんの中国人によくしてもらいました。レストランで小龍包を爆発させて汁まみれになった時は、どこからか女の子が現れて、何も言わず机の上にティッシュを置いてくれました。武漢で同部屋だった大学生は、切符を買うためにわざわざ駅まで一緒に行ってくれました。宿で特に大学生と一緒になることが多く、お互いたどたどしい英語で色々な話をしました。大きなボディーランゲージで何とか伝えようとする彼らはとてもピュアに映りました。

電車の通路で仲良く寝るふたり。中国の電車はいつも混み合っているので、みんな、どうにか場所を見つけ寝ようと努力します


よく見かけたのは、赤ちゃんのズボンが割れている光景。これにより街のいたるところで可能になります


街中でも反日を感じる場面はほとんどありませんでした。彼らは最初はちょっとシャイですが、仲良くなるととことん面倒を見てくれました。まだ旅慣れてなかったので、優しさが身に染みました。旅の最初に中国を選んで本当によかったと思います。

◆ルンビニのお上人さん


2カ国目ネパールでは素敵な出会いがありました。ネパールのルンビニはブッタ生誕の地とされていて、世界各国のお寺が集まっている仏教の聖地です。そこにある日本のお寺、日本山妙法寺で修行体験をさせてもらいました。

宿泊者は朝4時半に起きて、お経や、村巡り(うちわ太鼓を叩きながら村を巡る)をこなします。


村の子供は太鼓の音を聞きつけると、家から飛び出してきて、お経を唱えながらうちわ太鼓を叩きます。お上人さんいわく「太鼓の音は平和の音」。長年の地道な活動の成果を見たような気がしました。


夜ご飯は野菜煮込みぶっかけご飯。3日間同じメニューでしたが、朝から修行をこなし間食もできないので、すごく美味かったです。


夜ご飯の後、お上人さんがお話をしてくれます。僕は毎回質問を考えてこの時間を楽しみにしていたんですが、僕が質問することはとうとうありませんでした。なぜなら、お上人さんがみんなに話すことが、自然と僕の質問の答えになっていたからです。そんなお上人さんからもらった言葉が忘れられません。

「お金とか、名誉とか、モノというものは他人に取られてしまうことがあるよね」

「だからね、心の中に、自分が本当に好き、楽しいといえるようなものを見つけるんだよ」

「あなたが心の中に見つけたものはあなただけのものだからね」

それから、世界のどこにいても、その言葉が僕のそばにありました。

◆インドでマラリアからのポリープ発覚で帰国


インドを周り終えコルカタにて次の目的地・バンコクへのフライトを待っていた頃、僕は原因不明の体調不良に悩まされていました。風邪の引き始めのような症状が続き、ある日、熱が身体の奥から湧き出てくるような感覚に襲われたかと思うと激しい悪寒、そして頭が尋常じゃなくフラフラになりました。

すぐさまタクシーで病院へ。朦朧とする中撮りました


即入院となり、2日後、主治医(右)はマラリアを宣告しました


入院中は常に点滴を打ち続けました。幸い、マラリアの症状は軽く、3日目には70%回復の感触を得るまでに。

病院食は三食カレーです


すっかり快適入院ライフを楽しんでいた5日目の夜、医者が言いました。「ポリープが見つかった」。マラリアで色々調べた際、胆のうに見つかったというのです。医者はインドでの手術を薦めましたが、さすがにそんなリスクは冒せないと、日本で診てもらうことにしました。

帰国して診てもらうと、なんと……ポリープは見つかりませんでした。

危うく医者にハメられるところでした。でもインドに入ったくらいから旅の日常化に悩まされていたので、リフレッシュも出来てよかったのかもしれません。1週間の滞在を経て次は東周りで再出発することにしました。降り立ったのはアメリカです。

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2011.11.14~2012.1.30
北中米
(アメリカ、メキシコ、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマ)

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◆アメリカの大自然を満喫


アメリカは主にアリゾナ州を中心に車で回りました。上写真はグランドキャニオン。

パワースポットとして有名なセドナ


蹄鉄を思わせることからその名がついたホースシューベンド


洞窟の中に流線型の模様が浮かび上がるアンテロープキャ二オン


この夕陽には息を飲みました


アリゾナはメジャーな観光名所もさることながら、上の夕陽のような思いがけず出会う風景すら素晴らしかったです。アメリカにはあまり自然のイメージはなかったのですが、あれだけ広い国土です。その底力を見たような気がしました。

◆未知の中米


メキシコ以南の中米の国々は僕にとってこの旅一番の未知ゾーンでした(上写真はエルサルバドルのサルバドール)。メキシコで情報収集してわかったのはとんでもなく治安が悪いらしいということです。

中米一治安が悪い都市と旅人を震え上がらせるニカラグアの首都マナグア。「魔の交差点」は昼間でもかなりの高確率で強盗に遭うという。


ホンジュラスで食べた鶏肉トマト煮ぶっかけ飯。美味でした。


コスタリカのローカルカラオケパブにて。中央のMCのような人が盛り上げ、客にマイクを回していきます


エルサルバドルの首都サルバドールで泊まった部屋。今思ってもゾっとするくらい気味が悪かったです


ホンジュラスのゲームセンターで日本の一昔前のアーケードゲームを見かけました


コスタリカは動植物の宝庫。中米では比較的治安がいいと言われています。


かなりビビりながら行ってみると、確かに物騒な話はよく聞きましたが、僕自身には何も起こりませんでした。中米は未知ゾーンということで、街の作りひとつとってもいちいち興味深く、わりと新鮮な気持ちで旅ができました。コスタリカのサンホセを除き全体的にカオス感があり、雰囲気的には東南アジアに近い印象。食文化をはじめメキシコの影響をかなり受けているようです。

ちなみに年越しはグァテマラ第二の都市・ケツアルテナンゴでした。ありがたいことに、日本人宿でお雑煮をいただきました。


2012.1.31~4.10
南米
(ぺルー、ボリビア、パラグアイ、アルゼンチン、ウルグアイ、チリ)

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◆カーニバルのエネルギー


僕がボリビアに入った時、南米はカーニバルのシーズンに突入しました。三大カーニバルのひとつボリビアのオルロやペルーのプーノでカーニバルを見ました。

若い男性のグループは足に鈴をつけ、ジャンプを駆使してダイナミックに踊ります


女性のグループは手をヒラヒラさせて華麗に。


鬼の面


子供も立派な踊り手。


みんなほんとに活き活きとした表情をしています


ウユニのカーニバルは住民参加型。普段おとなしい印象のインディヘナのおばちゃんが狂喜乱舞している姿に度肝を抜かれました。


カーニバルにはほんと胸が熱くなりました。とにかくみんなの表情が活き活きとしていて、こっちまで元気になってくるのです。南米の人は陽気だというイメージがありましたが、旅をしていく中で皆が皆そういう訳でもないのかなと感じていました。街中では案外、憂鬱な表情が目につきました。しかし、カーニバルを見て、この瞬間のために生きているのかなと思うくらいその時はエネルギーに満ちていました。

◆危険なウユニ塩湖


日本人バックパッカ―の聖地・ウユニ塩湖は間違いなく旅のハイライトでした。ウユニ塩湖は雨季になると湖面に水が溜まり、周りの風景を映し出す「鏡張り」という現象を見ることができます。

昼の鏡張り


目の前の光景が異常過ぎてを頭が処理しきないのか、だんだん意識がボーっとしてきます


夕陽


全てが塩でできた塩のホテルに泊まりました


UYUNI


星空が映り込む様子はまるで宇宙


もう一度どこへ行きたいかと言われればウユニと答えるでしょう。ただし、その後、ちょっとやそっとの景色では感動しなくなってしまったので、ある意味危険と言えます。

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◆金融危機&強制送還


ヨーロッパ行きを翌日に控えたある日、ブエノスアイレスであることに気が付きました。「現金が引き出せないぞ」。というのも、この時点でカードを3枚中2枚を失くしていて、虎の子のカードのキャッシングの限度額も残り4万円という状況だったのです。何か策はないものかと調べまくった結果、頼ることになったのがシティバンク。

なんと、カードを無くした人のためにパスポートがあれば支店で預金を引き出せるという緊急措置があるというのです


支店を4店たらいまわしにされた末、なんとか10万円分のペソをゲット。しかし、早速これをユーロに換えようとするも、どの銀行・両替に行っても何故か「できない」と言います。知人に確認するとなんと「アルゼンチンでは外国人はペソを他の外貨に両替できない」という衝撃の事実が発覚。ヨーロッパにおいてペソがどれくらいの価値かということは考えなくてもわかります。ということは……明日にはこの札束は紙くず…。雑踏の中で1人途方に暮れました。

しかし、救世主が登場。ブエノス在住の日本人の方がなんとドルに換えてくれるというのです!

早速、指定された場所に向うと、そこは大学の日本語クラスでした。その方はここで講師をされており、飛び入りで僕もお手伝いさせていただくことになりました


その10万円を持って意気揚々とヨーロッパへ飛び立つハズでした。

翌日、経由地であるサンパウロに到着するも、どうもおかしい。どこにもトランジットへのゲートがないのです。たくさんの人が僕のチケットを見て言いました。「一端入国する必要があるけど君はビザがないので、ブエノスに帰ることになるだろう」。なんと、僕のチケットは入国が必要な国内線乗り換えを含んだチケットだったのです。トランジットだと思いこみビザを取らなかった完全に僕のミスです。

「すまない。これは我々のミスでもある」と僕をサンパウロまで載せてきたGOL航空のお兄さん。多分「ジャパニーズがビザナシで」みたいなことを喋っている模様……。


お兄さんに渡された強制送還のチケット


まさかまたブエノスアイレスへ戻ってくることになるとは(見出し下写真)……。ショックのあまり5日ほどひきこもりました。

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2012.4.11~5.18
ヨーロッパ
(ドイツ、フランス、ポーランド、スロバキア、ハンガリー、クロアチア、セルビア、ブルガリア、トルコ)

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◆東欧という場所


ブタペストの温泉。ハンガリーは知る人ぞ知る温泉大国。久々湯船に浸かって癒されました


ハンガリーからザグレブに向う車内で。クロアチア人のお兄さんはインドネシアで働いて半年ぶりの帰郷だそうです。さりげなくビールを渡してくれました


ベオグラード市内に残るNATO空爆の傷跡


スロバキアのコシツェにて。左のおじさんは公園で寝ている僕を起こして「日本人が何でこんなとこにいるんだ!」と言ってタダで街をガイドしてくれました


ヨーロッパの終着点はイスタンブール


これまで、世界中どこに行っても想像より栄えていることが多かったのですが、東欧だけは逆でした。ハンガリーのブタペストではうつむき加減で歩いている人が多いように感じました。ブルガリアのソフィアは中心街でさえ店が閉まっていて活気がありませんでした。ドイツ、フランスに比べると同じヨーロッパでこうも違うのかと。西ヨーロッパからの旅人は僕が東欧中心に回ることを知ると、「何故だ?」と不思議がり「何もないぞ」と笑いました。しかし僕は東欧に魅力を感じました。ベオグラードでバスの運転手に降りる場所を尋ねたら、運転手は僕を運転席に引き入れて、たどたどしい英語でこう言いました。「僕と君はともに行く」。東欧では素朴な人間味を感じることが多かったです。

2012.5.19.~7.17
東南アジア
(タイ、カンボジア、ベトナム、ラオス)

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◆アクティビティでシメる


最後の目的地は東南アジア。当初、中東に寄ってから入るつもりだったのですが、東欧で「寄ってる場合じゃない」という台所事情に気付き、急きょ予定を変更しました。東南アジアは物価が安いので、これまで我慢してきた自然アクティビティを思う存分満喫しました。

ラオスのバンビエンといえば、酒を飲みながらチューブで川を下るただそれだの遊び、チュービング。


心地よすぎて危うく寝そうになります


タイのチェンマイで象に乗る。


人生初のラフティング。日本に帰ってもハマる予感です。


ラオスのバンビエンでツーリング。東南アジアの自然に肌で触れたおかげでリラックスした状態で旅を終えようとしています


旅に出る前は出版社で編集者として働いていました。子供の頃から夢だった職業でした。しかし、年数を重ねるごとにマンネリを感じ、無いものねだりの「余所見」ばかりするようになりました。それをどうしても打開できず、5年働いた会社を辞めました。しかし、辞めても何もありませんでした。夢だった職業が続けられなかったのだから、本当に何もなかった。それで、ほとんど思いつきで旅に出ました。「海外に出たら何かが変わるかもしれない」。でも、場所が変わっただけで、そこにはどうしようもないくらいむき出しの自分がいただけでした。そんな自分と向き合った367日でした。

世界一周したからって、世界の構造とか仕組みとか流れが解ったなんて間違っても思っていません。むしろ謎は深まるばかりです。

ただ、自分のことは少しわかった気がします。

GIGAZINEでの連載、ブログを通して、自分の中に大切なものを見つけました。

8ヶ月間、ありがとうございました。

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期間:367日
訪問国数:31カ国
訪問都市数:約92都市
費用:約160万円(内飛行機代約50万円)
最長滞在国:インド(約2ヵ月)
最短滞在国:ウルグアイ(約6時間)
最高宿泊費用:約4000円(ホンジュラス・テグシガルパ) 
※GIGAZINEの原稿の締め切りが迫っておりWi-Fiのある宿に決めた結果
最低宿泊費用:約160円(シェムリアップ・カンボジア)
沈没(長期滞在)ベスト3都市:コルカタ・インド、ブエノスアイレス・アルゼンチン、成都・中国、(全て約2週間)
盗難・強盗等:1回(ボリビアでスリ)
野宿:約2回
美人が多いと感じた国:コスタリカ、クロアチア、メキシコ
ホームシック:数え切れず


(文・写真:世界新聞社/松崎敦史http://sekaishinbun.blog89.fc2.com/
※ウユニ塩湖の写真のみ匿名希望旅人、KENY

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in 取材, Posted by darkhorse