モザンビークで中国人が誤解される理由「カンフー映画」、きっと日本人ですら誤解します


こんにちは、自転車世界一周の周藤卓也@チャリダーマンです。マラウイからモザンビークを走りました。アフリカの中でも「ポルトガル語圏」で「旧社会主義国家」という、モザンビークが背負った歴史は大変なものでした。貧しい国でしたが、それでも期待はできます。そしてモザンビークの緩い雰囲気はアフリカのまとめとなりました。そのモザンビークでは面白い光景を見かけました。自分としてはかなりの衝撃だったのですが……。

モザンビーク内陸、ザンベジ川の流れるTeteはこの辺り。

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国境で40アメリカドルをモザンビーク通貨のメティカルに両替しました。それで手に入れた1000メティカル分の紙幣……500メティカルだと2枚にしかなりません。実際は使いやすいように小額紙幣を混ぜてもらったのですが、それでも枚数が少なくて心配になりました。マラウイだと財布がパンパンになっていたというのに。東部アフリカに入ってから最高額紙幣は1000円にもなりませんでした。ですがモザンビークの最高額紙幣500メティカルは約1500円、久し振りに強い紙幣の登場でした。

モザンビークの紙幣。


2メティカル硬貨の裏にはシーラカンス


マラウイの首都Lilongwe(リロングウェ)南にあるDedzaの国境からモザンビークに入りました。南北に細長いモザンビーク北部の西側に出っ張った部分になります。鬱蒼とした緑が広がる中にごつごつとした岩山が点在する景色はまるで太古の世界のようで、恐竜でも出てきそうな雰囲気でした。ザンベジ川が流れる大きな街Tete(テテ)を目指します。

Teteまで260kmの看板。


何もない道を進みます。


ザンベジ川の上流。


Teteまでの2日は街が無かったので、人に頼んで集落でテントを張っていました。電気は通ってなく明かりはありません。だからこそ、ふわーっと空間を泳ぐ蛍の光がくっきり分かります。電池で動くラジオから流れる音楽に乗って、小学生くらいの男の子が「タッタタタタッ」と小刻みなステップをふみました。別の男の子に「お前、これできるか」と言っているようでした。こうしてアフリカの何もないところで過ごすたびに、幸せについて考えます。

1日目は空いていた茅葺屋根の小屋にて。


2日目は学校にテントを張らせてもらいました。


学校でテントを張った翌朝は、村の人たちに遠くから観察されていました。


この辺りの人たちはアフリカにしては珍しく距離がありました。マラウイやタンザニアでは突き抜けるほどの明るさしかなかったのですが、この辺りの人たちには少しおとなしかったです。

追いかけてきた子どもたち。


ちらちらと隣の建物から顔半分でのぞいていた女の子を捕まえました。でも緊張してますね。


自転車を置いて休憩中。自転車を囲む人たち。「おーい子どもたち、ちょっと写真撮らせてよ」


しばらくしてやってきた子どもたちはこの表情。


もう少しでTeteという所の街で、チューブが使えなくなりました。マラウイでタイヤの傷が原因でチューブが破裂していました。パッチを張りつけてしばらくは何とかなっていたのですが、穴が大きすぎ、時間が経ってパッチがはがれたのです。しかも予備のチューブも同様でした。暑い中、やってられません。街のマーケットに行って新しいチューブを買うことにしました。自転車のチューブには英式、仏式、米式と3つタイプがあります。日本のママチャリは英式です。自分の自転車に使っているのは米式ですが、英式しかチューブはありませんでした。だからポンプのバルブがフィットしません。新しいポンプまで手に入れて、何とか前に進みました。疲れます。

市場でチューブの交換作業をしていたら、この人だかり。ただでさえ暑いのに、熱気でムンムンとしていました。


この人たちの後ろに自転車があるのですが。


「はいはい交換できたから行くね」囲まれるのはアフリカの宿命です。


しなびた噴水を撮りたくて。


さびれたタンクがいい味を出していました。


そしてTeteにたどり着きました。Teteの街に入るザンベジ川に架かる橋は立派なものです。このザンベジ川の上流にビクトリアの滝があります。Teteの街には旧社会主義の雰囲気が残っていました。無機質で権威的な巨大な建物、味のないビルが林立する様子、ただ旧ソビエトと違ってここは暑い。だからこそ行ったことはありませんが、キューバを思い浮かべてしまいました。このモザンビークにロシア人は大事なものをおいていきました。どこにでもウォッカがありました。

モザンビークは1975年の独立までポルトガルによる植民地政策が続けられていました。独立とともに社会主義国家の建設を進めます。そこに不安定化工作を仕掛けたのが白人国家であったローデシア(現ジンバブエ)、南アフリカでした。モザンビークは1992年まで続いた内戦に巻き込まれます。冷戦と人種という二つの対立が絡み合って逃れることはできませんでした。

少し時が止まっていたようなTeteの街ですが、所々に発展の躍動がありました。郊外には小奇麗な小さなモールをみかけ、市内には銀行が新しい店舗を構えています。中心部にあったスーパーマーケットの品揃えも十分でした。モザンビークには南アフリカに隣接する地理的要因に加えて、同じポルトガル語圏で経済成長著しいブラジルの存在もあります。この利点を生かして、確実な発展を続けて欲しいものです。

ザンベジ川の夕暮れ。


ザンベジ川に架かる立派な橋。橋の向こうがTete市街です。


庶民の路地裏。


メインストリートにある「vodacom」の看板。


無機質で権威的な巨大な建物。


旧ソ連を感じたビルのならぶ風景。


社会主義国の特徴であるだだっ広い道。でも暑いのでキューバをイメージせずにはいられませんでした。


Teteの安宿。この何もない内容で1000円近くもします。


コンセントは東、南アフリカで主流の3つ穴ではなく、ポルトガルと同様のヨーロッパで主流の2つ穴でした。


TeteからはChangara→Guro→Catandica→Vanduziと繋いでジンバブエ東部のMutare(ムタレ)を目指しました。Changaraからジンバブエに入る道もあるのですが、そうするとモザンビークの滞在が残念なほどに短くなります。またジンバブエの首都Harare(ハラレ)以外の街も滞在したいと思っていました。

モザンビークの田舎の集落はどこも茅葺屋根の家ばかりでした。その様子は東部、南部アフリカ国々の中では、際立って目立ちます。ただ、道路はしっかりと舗装されて、ある程度の街になると電気も水道もあって既に基礎はできているようでした。田舎の路上で売られている野菜もしっかりとしています。どこかの国ではゴルフボール大くらいの小粒でしかなかった玉ねぎも、モザンビークではこぶし大くらいの大粒でよくできていました。だからこそ、これからに期待します。

このような景色ばかり見かけました。


ぽつぽつと並んで建つ茅葺屋根の家。


日中の暑さから開放される夕暮れ。


田舎は青空市場。衣服を売るお店の青年。


道中の安宿。


モザンビークの田舎で面白いものを発見しました。道路から100mも離れている建物から大音量で効果音が聞こえます。「ハーッ、ウワッツ、ター、ヤー」と格闘ゲームでもしているみたいです。吸い寄せられるように建物に向かいました。中をのぞかせてもらうと暗室の中に一台のテレビ、おとなしく座ってみる子どもたち。その中では良い中国人が悪い中国人を素手でやっつけていました。そうカンフー映画です。これをみて、アフリカで自分が誤解されるのも少し分かりました。きっと日本人ですら、中国人を誤解します。映画の効果音は一息もおくこともなく、ずっと続いていたのですから。効果音に東洋人として求められている気がしたので型をとってみたのですが周りはつれません。呼ばれてもいない訪問者は明らかに浮いてます。カンフー映画に負けているのが悔しく「カタナ、サムライ、ニンジャ、ジャパン」とカタナを振るまねをして「ジャパニーズムービーグッド」とアピールしておきました。

こちらが集落の映画館。


聞こえている効果音はこちら。

モザンビークの集落の映画館から聞こえてくるカンフー映画の声 - YouTube


モザンビークでは食べることに苦労しました。安食堂はなかなか見当たりません。その安食堂ですら「鶏肉とご飯」が出てくるのにだいぶ待たされました。しかも高い。結局、すぐに出てくる屋台の「フライドポテトと鶏肉」ばかりを食べていました。モザンビークは標高が下がった為、暑い暑い毎日となりました。暑さにヘタヘタとなって宿のある街にたどりつくのですが、だからこそクイーッツと飲み干す冷えたビールは最高でした。

安食堂でたいぶ待って出てきた「鶏肉とご飯」


瓶のファンタも「ORANGE」じゃなく「LARANJA」とポルトガル語。


紙パックのフルーツジュース。


モザンビークでよくみかけた「MANICA」ビール。


こちらもモザンビークビール「2M」


ジンバブエのMutareに近づくにつれて標高が上がって行きます。

ジンバブエ国境の手前。


そして、国境手前で若者たちと記念写真。寄るな、押すな、暑い。


電気も水道もない集落にテントを張らせてもらって、子どもたちと遊んで写真をとって、田舎では目立って囲まれてしまう。モザンビークはアフリカのまとめのような国となりました。アフリカではいらいらすることも多いけれど、それだけじゃ何も面白くないから、一緒に楽しむのが必要な気がします。それが最後の写真だったりします。

ジンバブエに入ると緩いアフリカはなくなりました。

(文・写真:周藤卓也@チャリダーマン
自転車世界一周取材中 http://shuutak.com
)

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