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世界最古のサーファー写真?1890年、ボードを抱えて波を待つハワイの若者


サーフィンと言えばアメリカ人が考案したカリフォルニア生まれのスポーツ、と思っている人も多いかもしれませんが、カリフォルニアのサーフィンは「近代サーフィンの父」と呼ばれるGeorge Freethが1907年にハワイから持ち帰ったもの。

ハワイを含むポリネシアでのサーフィンの歴史は古く、単なる娯楽的なスポーツではなく儀式的・宗教的な意味も持つ文化だったのですが、18世紀末に伝来したキリスト教の宣教師たちによって「野蛮なポリネシア文化」の一つとして禁止され、ハワイのほんの一部を除いてほぼ「絶滅」してしまいました。そんなサーフィンの「冬」の時代であった1890年ごろに撮影された、ボードを持ったサーファーをとらえた貴重な写真が発見され、オークションに出品されるそうです。

詳細は以下から。Hawaii 1890: Is this the first ever picture of a surfer about to ride the waves in the 19th century? | Mail Online

古くはサモアやトンガなどポリネシア一帯に広く普及していたサーフィン。「集落のチーフはサーフィンが最もうまく、最高の木で作った最高のボードを持つことができた」「権力者は良いボードを使い良いビーチで波に乗ることができ、下層階級の人々は、非常に重く扱いが難しいボードを乗りこなすことができて初めて同じビーチへ入ることが許された」など、社会的に重要な意味を持つ文化でした。しかし、18世紀以降ヨーロッパから移り住んだ宣教師たちにより排斥されると徐々にその文化は途絶え、19世紀末にはハワイの一部の人々のみがひっそりとサーフィンを続けていたそうです。


ハワイでは、サーファーがコアパンノキウィリウィリの木の中からボードを作るために1本の木を選ぶと、根ごと掘り出し、その穴に「ささげ物」として魚を埋め、集落の中で選ばれた職人が木を削り、磨き、塗装してボードを作ったそうです。サーファーたちは海へ出る前には「安全」と「力」を神に祈り、凪(なぎ)が続くとビッグウェーブを祈るなど、宗教的な側面を持っていました。

サーフィンは今日のように「娯楽」や「趣味」「スポーツ」や「仕事」ではなく、ハワイの人々にとっては「アート」として存在していたと考えるのが一番近いかもしれません。サーファーは芸術家であり、巨大な波を見事に乗りこなせばそれは1つの芸術作品を完成させるような偉業だったのです。

伝統的な腰布を締め、木のボードを持ってオアフ島・ダイヤモンドヘッドのビーチに立つ若者。写真は1890年ごろに撮影されたものです。


今回の写真は今週木曜にイギリス・グロスタシャーでオークションにかけられるアルバムの中の1枚で、アルバム全体の予想落札価格は1万ポンド(約130万円)となっています。

フィジーの写真20枚を含む合計100枚の写真を収めた2冊のアルバムのもとの持ち主は明らかになっていないのですが、数十年前に個人のディーラーが、ある住宅の財産処分で購入し、今回手放すことにしたものとのこと。


伝統的な衣服の女性たち。


こちらはフラダンスの衣装でしょうか?アルバムにはほかにも、1891年に亡くなったカラカウア国王や、ハワイ王国最後のリリウオカラニ女王(1838-1917)、カラカウア王の妹とスコットランド人の父との間に生まれたカイウラニ王女(1875-1899)など、ハワイの王族が写った写真も含まれているそうです。


抑圧されていたハワイのサーフィンが再び脚光を浴び、復活への道を歩み始めるのは1905年から。この年、のちに競泳でオリンピックの金メダリストともなる先住ハワイ人の英雄デューク・カハナモク(当時14~15歳)が仲間とともに「Hui Nalu(波のクラブ)」というサーフィンクラブを結成し、彼らはのちに「Beach Boys of Waikiki(ワイキキのビーチボーイズ)」と呼ばれるようになります。

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in メモ, Posted by darkhorse_log

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