イギリスで発見された世界最古の「髑髏杯(どくろはい)」、食人の形跡も


人の頭骨でできたコップ髑髏杯(どくろはい)といえば、日本では織田信長が浅井長政の髑髏を杯にしたという話や、敵の髑髏を杯にした古代中国の武将たちを思い浮かべる人が多いかもしれません。しかし、髑髏杯の風習はそれよりはるかに長い歴史を持っていたようです。

イギリスで発掘された石器時代の人骨の一部が食器として使うため加工されていたことが判明し、世界最古の髑髏杯であると明らかになっています。

詳細は以下から。PLoS ONE: Earliest Directly-Dated Human Skull-Cups

髑髏杯と言えば、日本では織田信長が浅井久政とその息子長政および朝倉義景の髑髏を杯にして酒を飲んだという話(実際には金ぱくを塗って飾っただけで杯にはしていないという説が有力のようです)や、漢書に記された匈奴老上単于月氏の王の髑髏を杯にし、後に漢と講和を結んだ際に漢からの使者とともにその髑髏杯で血を飲んだという話が有名かもしれません。

東欧のスキタイ人や北欧のヴァイキングなど敵の骨から髑髏杯を作る風習は歴史上世界各地で見られるほか、チベット密教で儀式の際に使われる髑髏杯カパーラをはじめ、オーストラリアのアボリジニフィジーなどのオセアニア諸国の先住民、インドのヒンドゥー教のアゴーリ派など、19世紀から現代へ至るまで各地で儀式的な髑髏杯の使用が確認されています。


また、趣味で髑髏杯を作ってしまった人々としては、日本では江戸時代の漢詩人高野蘭亭が、鎌倉で大館次郎の墓をあばき髑髏杯を作ったと言われているほか、自邸の庭で庭師が発見した髑髏を杯にしワインを飲んだ19世紀のイギリスの詩人バイロン卿などが有名です。詩人とは髑髏に魅せられるものなのでしょうか。


そのバイロンが生まれる1万年以上前、当時まだヨーロッパ本土と地続きだったイギリスで、人間の頭骨を加工し食器として使っていた人々がいたことが明らかになりました。チェダーチーズで有名なサマセット州チェダーにある洞穴Gough's Caveでは、これまでにさまざまなマドレーヌ文化期(紀元前14000年~紀元前7000年、旧石器時代後期)の人間や動物の骨などが発掘されているのですが、ロンドン自然史博物館ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの考古学者たちの研究により、そのうち3人の人物の頭骨が髑髏杯として使われていたことが示されています。

Gough's Caveの位置。緑で示されたのが1万4500年前(BP14500)の海岸線です。フランスのLe PlacardとIsturitzという2個所のマドレーヌ文化の遺跡でも、加工された形跡のある人間の頭骨が見つかっているそうです。


今回調査の対象となったマドレーヌ文化期の人骨のサンプル41片は、3歳の子ども1人、二次性徴期の子ども2人、成人1人、さらに年長の成人1人という合計5人のものだと推定されています。そのうち3人の人物の頭骨は、前頭骨頭頂骨後頭骨からなる脳を覆う部分を砕かずにきれいに残すよう、鋭いものを当てて何度も慎重にたたいて割ったような形跡が確認され、ほかの考古学的な状況証拠と総合すると、ほぼ間違いなく水を飲むために使われた杯だと考えられるそうです。放射性炭素年代測定により、約1万4700年前のものと判明しています。

石器時代の3つの「髑髏杯」。左のグレーの図に示された黒いドットは頭骨を砕いた際の打撃痕が確認された位置です。最も状態のよかったGC87(上)は成人(おそらく男性)の骨で、GC3(中)は約3歳の子どもの骨、GC2(下)は成人の骨とのことで、GC3とGC2の写真の輪郭に沿って描かれた点線は、廃棄後に破損した部分(杯として使われていた時にはなかった最近のダメージ)を示しています。


GC87の写真(A)と人間の頭骨のどの部分にあたるかを示す図(B)。


GC87の縁の部分を外側(C)と内側(D)から見たところ。図Cの白い三角形は打撃痕の位置を示し、図中の「Occ.」は後頭部、「Or.r」は右半球、「Or.l」は左半球を示しています。


イギリスでこのような先史時代の「髑髏杯」が発見されたのは今回のものが唯一であるほか、直接的な手法で年代が特定された髑髏杯としては世界的に見ても最古のものとなっています。

また、Gough's Caveでは人骨と動物の骨は入り交じった状態で発掘され、人間と動物の区別なく骨をひとまとめに廃棄していたと考えられるのですが、頭骨の上半分がほぼ完ぺきな状態で残されているのは人間の骨だけで、これは当時の人々にとって人間の死体がほかの動物の死体とは異なる特別な意味を持っていたことを示唆し、死体の処理の際「儀式」のようなことが行われた可能性も示唆するそうです。

一方で、「髑髏杯」として残されている部分以外の骨の処理は人間も動物もほぼ同じ手法で行われていて、筋肉や眼球などを取り除いた際についたと見られる刃物(鋭い石器)による傷や、骨を砕いて栄養豊富な骨髄を取り出した形跡などにより、人間の死体も動物と同様に食べ物として扱われていたことが強く示唆されています。

骨髄を取り出すため砕かれたと見られる人間(A)・アカシカ(B)・ノウマ(C)・ヨーロッパオオヤマネコ(D)の下顎骨(かがくこつ)


髑髏杯にされた人骨が、その肉を食べ杯を使った人々にとって「敵」の骨であったのか「仲間」や「家族」の骨であったのかは明らかになっていませんが、単に「栄養のために食べる」「ちょうどよい形だから水を飲むために使う」という実用的な意味で始まった食人と髑髏杯の風習だとしても、例えば敵の骨なら「敵の力を取り込む」、仲間の骨なら「死んだ仲間を尊ぶ」といった意味を持つようになったことは十分に考えられるのではないでしょうか?こういったところから「儀式」が生まれ「宗教」が始まったのかもしれません。

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in サイエンス, Posted by darkhorse_log