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【訃報】ホロコーストを生き延びた70年代ホラー映画の女王イングリッド・ピット、心疾患で死去


イギリスの名門ホラーメーカーハマー・フィルム・プロダクションの「ホラーの女王」として70年代に「バンパイア・ラヴァーズ」や「Countess Dracula鮮血の処女狩り)」などでいまでもホラーファン・カルト映画ファンの心に残るセクシーな女吸血鬼役を演じたポーランド出身の女優イングリッド・ピット。

ドイツ人の父とユダヤ系ポーランド人の母のもとに生まれ第二次世界大戦中はナチスの強制収容所を生き延びたという過去を持つ非常に美しい女性なのですが、そのイングリッド・ピットが先日73歳で亡くなったそうです。


詳細は以下から。Ingrid Pitt (1937 - 2010) - Hammer

Queen of horror Ingrid Pitt dies aged 73 after collapsing in London with heart trouble | Mail Online

フランケンシュタインの逆襲」やクリストファー・リー版「吸血鬼ドラキュラ」で知られるイギリスの名門ホラーメーカーハマー・フィルム・プロダクションが、低迷してきた1970年、不振を打開すべくセクシー路線の新機軸として打ち出した「バンパイア・ラヴァーズ」は、「吸血鬼カーミラ」を原作としたレズビアン映画的要素も強い作品ですが、イングリッド・ピットはその「バンパイア・ラヴァーズ」でなまめかしい女吸血鬼を演じ、「ホラーの女王」としてハマー・フィルム後期の看板女優となりました。

「バンパイア・ラヴァーズ」でカーミラ役を演じるイングリッド・ピット。


1937年生まれのイングリッドは当時すでに32歳。これから売り出すというライバル女優たちと比べ決して若くはなかったのですが、その美ぼうと独特の存在感にJames Carreras監督がほれ込んだそうです。自由奔放な性格のイングリッドは当時物議をかもしたレズビアンのシーンにも臆(おく)することなく挑みました。


イングリッド・ピットは1937年11月21日にドイツ人の父とユダヤ系ポーランド人の母のもとにポーランドで生まれ、第二次世界大戦中は家族とともにナチスの強制収容所に収容されました。強制収容所を生き延び、戦後1950年にベルリンで出会ったアメリカ人兵士と結婚しカリフォルニアへ移住するものの、その兵士とは程なく破局。ヨーロッパへ戻りドイツで名門劇団Berliner Ensembleに所属し演技を学び、1964年のスペイン映画「Sound of Horror」で映画デビューを果たしたのちハリウッドへ渡り、ウェイトレスとして生計を立てながらスター女優を目指します。1965年に大作「ドクトル・ジバゴ」の端役を得たほか、1968年には「荒鷲の要塞」でリチャード・バートンクリント・イーストウッドと共演していますが、女優として真に脚光を浴びたのは、イギリスへ渡りハマー・フィルムの「ホラーの女王」となってからでした。


フィルムにはブロンドで登場することの多いピットですが、生まれつきの髪の色は茶色だったそうです。


1970年の「バンパイア・ラヴァーズ」に続き1971年の「Countess Dracula」でもさらに肌を見せ、ハマー・フィルムの窮地を救うかと期待されたピットですが、この映画のプロットの凡庸さはピットの裸体だけでは救いようがなく、Peter Sasdy監督との仲は険悪で、ポストプロダクションで声を吹き替えられるという侮辱的な扱いも受けています。


その後は「The House That Dripped Blood」「ウィッカーマン」などのやはり「カルト」と呼ばれるようなホラーや、「ドクター・フー」「スマイリーと仲間たち」などのテレビドラマに出演し、私生活では1974年に知り合ったF1チーム監督のTony Rudlin氏と結婚、女優としてはメインストリームのスターと呼ばれる位置に達することはなく演技も過小評価されている感がありますが、ホラー映画界での経験を生かしたウィットに富んだコラムを複数の雑誌やウェブサイトに執筆、小説や児童書も書いているほか、強制収容所で経験した恐怖や、戦後赤十字の難民キャンプで父を探し歩き、命からがら東ベルリンを脱出した経緯などを赤裸々につづった自伝「Life's A Scream」(1999年)はホラーファン以外の層にも好評を博しています。

晩年までファンに愛され、積極的に映画祭やコンヴェンションなどのイベントに出演していたイングリッドは、先週ロンドンで開催されたファンクラブ主催のイベントへ向かう途中で倒れ、数日後の11月23日朝に亡くなりました。娘のステファニー・ピットさんは「母は今朝亡くなりました。心臓病でした。ここ数年健康状態は思わしくなかったのですが、病気とも勇敢に闘っていました。母を知る人はみな、彼女は信じられないほど根性のある女性で、やりたいことをすべてやり遂げる意志の持ち主だったと言うでしょう」と語っています。

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in 映画, Posted by darkhorse_log

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