ビールとタバコが大好物、第二次世界大戦で活躍したポーランド軍の勇敢なクマ「ヴォイテク二等兵」


第二次世界大戦中ポーランド第2軍団第22弾薬補給中隊に所属し、激戦となったモンテ・カッシーノの戦いでは砲弾が飛び交うなか一度も弾薬箱を落とすことなく補給任務にあたったシリアヒグマヴォイテクは、ポーランドでは英雄として知られています。

一兵卒として活躍するとともに、家を遠く離れたポーランド軍兵士たちの心を和ませる中隊のマスコット的存在として愛されたヴォイテクは、戦後共産圏となったポーランドを避けた中隊とともにスコットランドに駐屯し、エディンバラ動物園で1963年に死去したのですが、その最期の地となったエディンバラにヴォイテクを記念した像が建立されることになったそうです。

ヴォイテクが兵士たちと戯れる写真や映像などの詳細は以下から。Wojtek The Soldier Bear -  In the Ranks of Victors - Home

Polish bear 'that fought Nazis' to be commemorated - Telegraph

母グマが猟師に撃たれ、イランのハマダーン付近でヴォイテクが現地の少年に拾われたのは1942年、生後3ヶ月の時でした。カスピ海から上陸しイギリス軍との合流地であるエジプトを目指してハマダーンの山中を移動するポーランド軍の弾薬補給隊の兵士たちは、休憩中に奇妙な形の荷物をひきずる少年に目を留め、缶詰の肉とひきかえに少年から子グマを購入したそうです。


幼いヴォイテクは始めのうちは食べ物をうまくのみ込むことができず、兵士たちは薄めたコンデンスミルクをハンカチに染み込ませ、ウォッカ瓶に入れて飲ませました。その時のウォッカ瓶に数滴残っていたアルコールがミルクに混ざったため、その後ヴォイテクはお酒(特にビール)を好むようになったのでは、と兵士たちは後に考えるようになったとのこと。ちなみにビールのほかにタバコも大好物という、いかにも軍人らしい好みのヴォイテクですが、タバコは吸うのではなく食べるのが好きだったとのことで、なぜか火のついたタバコでないと興味を示さなかったようです。

ポーランド兵や現地ガイドとともに1943年にイランで撮影された写真。ヴォイテク(Wojtek)という名前には「陽気な戦士」といった意味があるそうです。


イランからイラク、パレスチナ、シリアを経てエジプトへ、中隊とともに進軍するうちにすくすくと成長し、兵士たちに良く懐くようになったヴォイテク。食事は果物やマーマレード、ハチミツやシロップなどを与え、寝る場所に関しては小さいうちは毛布や軍服にくるんで添い寝し、体が大きくなるのに合わせてバスタブやトランクでベッドを作ったとのこと。しかし、甘えん坊のヴォイテクは兵士たちと一緒に眠ることを好み、時には夜の間に就寝中の兵士に寄り添い朝になって顔をなめて起こし、びっくりさせることもあったそうです。

ヴォイテクは兵士たちとレスリングをして遊ぶのが大好きで、時にはわざと兵士に勝たせることもありました。


ポーランド兵とボクシングをするヴォイテク。


ヴォイテクは泳いだり水遊びをするのも好きで、夏にはシャワーを使うことも覚えたそうです。ある夏の暑い日に中隊のシャワー小屋のドアが少し開いてるのを見つけたヴォイテクがすかさず水浴びをしようと近づいたところ、アラブ人のスパイを発見しました。突然のクマの登場に驚いたスパイがすべてを白状したことによって奇襲を計画していた敵を捕らえることにつながり、ヴォイテクは功績を認められ、ご褒美にビールを2瓶与えられ、水遊びを楽しんだとのこと。

敬礼をすることも覚え、ひとりぼっちにされると「かまって」と鳴いたり、しかられると目元を前足で隠すなど、人間と長く暮らすうちに人間っぽいしぐさもするようになりました。


1944年に中隊がイタリアへ配置された際、ヴォイテクを連れていくには兵士として登録する必要がありました。ヴォイテクは正式に名前と番号、階級を登録され、第22弾薬補給中隊の一員としてアレクサンドリア港から船に乗り、ローマ解放のためのモンテ・カッシーノの戦いへと向かいます。


イタリアで初めて本格的な戦闘を目の当たりにしたヴォイテクですが、前線の激しい砲火の音にもすぐに慣れ、木に登って遠くの爆発を眺めることもあったそうです。

ある日、輸送車に弾薬や燃料、食糧などを積み込んだり積み下ろしたりを繰り返す兵士たちを見て、ヴォイテクは2本足で立ち上がると「僕にも何か運ばせて」というように前足を差し出して車両から荷を降ろす兵士に近づき、そのまま2本足で重い弾薬の箱をトラックまで運んで積み替えると、また「次は何を運べばいいんだい?」というように戻ってきたそうです。その後は毎日熱心に弾薬の積み替えを手伝うようになったとのこと。

中隊の車両に乗るヴォイテク。


激戦となったモンテ・カッシーノの戦いで部隊の一員として弾薬を運び、一度も弾薬を落とすことは無かったというヴォイテクの活躍を認め、司令部は「砲弾を持つクマをかたどった紋章」を第22中隊の公式シンボルとすることを承認しました。


中隊の記章。


従軍中にたくさんの友人を作ったヴォイテクですが、その交友関係は人間だけにとどまらず、イギリスの連絡将校が飼っていたダルメシアンなどとも仲良くなり、転がりまわって遊んでは兵士たちをなごませたそうです。しかし、馬とだけは相性が悪かったようで、イランの村で野営中に放牧されている馬に近寄ったところ、おびえた馬に頭や首をけられてしまい、その後の行軍では馬やロバにだけは一切近寄ろうとしなかった、というエピソードもあります。

ヴォイテクが兵士たちとじゃれあう映像は以下から見ることができます。

YouTube - Voytek Soldier Bear archive film Wojtek Niedźwiedź Żołnierz


終戦後は中隊とともにスコットランドに駐屯したヴォイテクですが、1947年にポーランド軍が解体すると、戦友たちと離れなければいけませんでした。1947年11月15日、ヴォイテクはエディンバラ動物園へ預けられ、そのまま1963年に22歳で亡くなるまでを動物園で過ごすことになります。

イギリスでもヒーローとして人気者になったヴォイテクのもとにはたくさんの人々が訪れたのですが、ヴォイテクは最後までポーランド語での呼びかけにしか反応しなかったとのこと。中隊の兵士たちは復員後も頻繁にヴォイテクを訪れ、好物のタバコを投げ与えたり、オリの中へ飛び入ってレスリングを楽しむこともあったそうです。

エディンバラではスコットランド人の彫刻家Alan Herriot氏による銅像が、ヴォイテクを記念して建てられることになっています。像が建つ正確な場所はまだ決定していないそうですが、カールトン・ヒルやヒルサイド・クレセントが候補にあがっていて、エディンバラ市議会の承認を経て1年以内に除幕式が行われる予定とのこと。

彫刻家のAlan Herriot氏は「ヴォイテクは弾薬を運んだクマとして有名かもしれませんが、本当の意義は、彼の存在が兵士たちの士気を高めたということにあります。わたしはヴォイテクと兵士たちの深い友情や、ヴォイテクが兵たちに気晴らしや笑いをもたらす存在であったことを描きたいと考えました」と語り、ヴォイテクが弾薬を運ぶ姿ではなく、「飼育係」的な存在だった兵士のPeter Prendys氏と寄り添う姿を像にしています。


ヴォイテクについての本「Wojtek the Bear: Polish War Hero」の著者Aileen Orrさんは、戦争中にヴォイテクに何度も会ったことがあるという祖父から幼いころにヴォイテクの話を聞かされ、8歳のときポーランド人の友人とともにエディンバラ動物園を訪れたときには、友人が話すポーランド語に反応し手を振るヴォイテクを見て感激した経験があるそうです。

「故郷を遠く離れた兵士たちにとって、ヴォイテクは残してきた妻や子ども、ペットや家族に代わって、安らぎをもたらす存在でした。戦場にあってヴォイテクは愛することができる存在、愛し返してくれる存在だったのです」とOrrさんは語っています。

このほかにもヴォイテクの写真を多数以下のリンクから見ることができます。

Flickr: wojteksoldierbear's Photostream

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