演説上手で恐れ知らずの総統ヒトラーも歯医者だけは怖かった


数千万人の血に染まり史上最も恐れられた独裁者の一人として知られるアドルフ・ヒトラーですが、民衆の前では「恐れ知らずの勇敢なリーダー」というイメージを提示した彼も歯医者に対する恐怖だけは生涯克服できなかったようです。

ヒトラーお抱えの歯科医Johannes Blaschkeについて書かれ今年11月にドイツで出版されたMenevse Deprem-Hennen著「Dentist des Teufels(悪魔の歯医者)」では、これまで公開されたことのないJohannes Blaschkeの手記やヒトラーほかナチス要人のカルテを含む興味深い記録がひも解かれています。

詳細は以下から。'He couldn't stand the pain': Nazi records show how Hitler hated going to the dentist | Mail Online

ヒトラーの歯医者嫌いは内輪では有名だったとのこと。Johannes Blaschkeの手記ではヒトラーが「痛みに耐えきれず、単純な歯根管の手術を8日間に分けて行った」ことや、「膿瘍(のうよう)歯周病があり、非常に臭い息の持ち主だった」ことが明かされています。

20年間ヒトラーのお抱え歯科医だったJohannes Blaschke。武装親衛隊の少将の地位にあったBlaschkeはヒトラーの歯科医であることを非常に誇りに思っていましたが、ヒトラーの方はというとBlaschkeに会わねばならない機会を忌避していたようです。


自らも歯科医である「悪魔の歯医者」の著者Menevse Deprem-Hennen博士は、数奇な経緯により、これまで公開されたことのなかったJohannes Blaschkeにより記録された1930年代から40年代のヒトラーを含むナチスの要人たちの歯のカルテを研究する機会を得ました。

「ヒトラーが自殺したベルリンのバンカーには頭がい骨やあご骨の一部が残されていたため、ヒトラーの歯の状態について知る立場にあった人物は連合軍にとって非常に重要でした。戦後、米軍はヒトラーの死を確認するため戦争捕虜キャンプでBlaschkeにいくつかの記録を見せました」とDeprem-Hennen博士はカルテが博士の手に渡ることとなった経緯を語ります。

ヒトラーと新妻のエヴァ・ブラウンの遺体を実際に発見したソビエト軍は、米軍側にいたBlaschkeには手を出せなかったものの、Blaschkeの助手Kaethe Heusermannを捕らえました。Deprem-Hennen博士によると、「その後彼女(Kaethe Heusermann)は10年間ソビエトの強制収容所へ姿を消すこととなりました」とのことです。

ヒトラーの医学的な記録のほとんどは、ベルリン陥落前の1945年5月に、包囲されたベルリンを飛び立った飛行機のうち一機が撃墜されると共に失われたと言われています。「しかし、多くの記録がBlaschkeの診療所には残されていたのです」とDeprem-Hennen博士。「ベルリンに潜伏して戦争を生き延びたユダヤ人歯科医のFedor Bruckが終戦時にBlaschkeの診療所跡で開業し、ソビエト軍の手が伸びる前にそれらの記録を発見したのです」

Bruck氏は1947年にアメリカへ移住し、ヒトラーのカルテを含む書類もBruckと共に海を渡りました。その後書類はBruckの息子Wolfgangへと相続され、Wolfgangは州首相のもとで弁護士として働くためデュッセルドルフへ渡りました。

デュッセルドルフで博士課程に在学するDeprem-Hennenさんの元にWolfgang Bruck氏が「興味深い資料がある」と持ち込んだことにより、Deprem-Hennenさんはこの貴重な記録をひも解く機会を得、6年間の研究の後に博士論文として提出することができたそうです。「大学の医学史の教授は初め、これらの記録の価値を認めることに気乗りしない様子でした。おそらく数年前の『ねつ造されたヒトラーの日記』のスキャンダルが念頭にあってのことでしょう。しかし、最終的にBlaschkeの書類は本物であるとのお墨付きをもらうことができました」

数カ月前に出版されたヒトラーの健康状態についての本では、記録に残された証拠がないにもかかわらず「ヒトラーの歯の詰め物は強制収容所の犠牲者の金歯を溶かして作られた」と示唆されていたのですが、Blaschkeの記録によると、ヒトラーの歯にそのような出自の金が使われたことはないとのことです。Blaschkeの患者であったほかの親衛隊将校には強制収容所で没収された金が使われた記録も残っています。

アドルフ・ヒトラー。歯並びまではっきり映っている写真は見たことがない気がしますが、歯周病や虫歯に悩まされていたようで、Blaschkeの記録によると1944年だけでも10個所歯に詰め物をしています。また、口内の右側にブリッジをはめていて、1944年7月20日の暗殺未遂の際には顔に破片が当たったためそのブリッジがずれ、非常な痛みに苦しんだとのこと。


Blaschkeは、ヒトラーの後年の歯周病や歯のトラブルの主な原因は、第一次世界大戦前のウィーンで浮浪人のような生活を送っていたときの粗末な食生活のせいだろう、とも書き留めています。

ヒトラーのほかにも、空軍総司令官であったヘルマン・ゲーリングもBlaschkeの患者であり、ゲーリングもまた歯医者を非常に恐れていて、Blaschkeによると「イスに座る前から泣いていたほど」とのこと。「ドイツ空軍の総司令官として歯が欠けた姿は部下に見せられないとのことで、歯を抜くときは事前にプロテーゼを用意し、その日のうちに入れなければいけなかった」と、当時見られたら命が危なかったのでは?と少し心配してしまうような内容も赤裸々に書かれています。

モルヒネ中毒と肥満に悩まされたゲーリング。歯の状態も良くなかったようです。


1957年に死亡したJohannes Blaschkeは熱狂的なナチ党員で、親衛隊将校の歯に詰めるための金がどこからやって来ているのかも十分に承知していましたが、人間的な優しさを見せることがまったく無かったわけではない、とDeprem-Hennen博士は著書の中で述べています。「連合軍の爆撃機が頭上を飛び交う中、Blaschkeは歩けないユダヤ人の家主を抱えて防空ごうへ避難していた」とのことです。

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