取材

京都・祇園祭2009で32基の山鉾を全部撮影してみた・後編「放下鉾~南観音山」


長刀鉾から蟷螂山までの様子をお伝えした前編・油天神山から山伏山までの中編に続き、この後編では京都・四条河原町交差点から撮影した祇園祭の山鉾巡行のうち放下鉾から南観音山までの様子をお伝えします。

写真は以下から。四条河原町の交差点は観客がつめかけ、警官も邪魔にならないように座っていました。山鉾巡行の見どころ・辻回し(四条通から河原町通りへ左折する際の90°の方向転換)をローアングルから大迫力で見られるので、これはこれで役得かもしれません。


21基目・放下鉾(ほうかぼこ)がやってきました。



かつては生稚児(人間の子ども)が乗っていたのですが、昭和4年以降は稚児人形が乗るようになっています。


稚児人形が落ちかけるというアクシデント発生!


……ではなく、人形に「稚児舞い」を舞わせているところです。


この稚児人形は三光丸と名付けられているそうです。


山鉾の乗り手はおはやしを演奏したり人形を操ったりと皆何らかの役目があるようなのですが、屋根の上の人々だけはどういった役割なのかわかりませんでした。(追記:実際に今年の山鉾巡行で鉾の屋根に乗っていたという読者の方からのたれこみによると、屋根に乗る人は「屋根方」と呼ばれ、町内を通る時に電線などに鉾がぶつからないよう見たり、上に乗ってる装飾品が万が一の時に対応するのが主な仕事とのことで、「大工方」と呼ばれる鉾の上のほうを組み立てをする人たちが「屋根方」になることが多いそうです)


扇子を持った二人は大きな山鉾には必ず乗っていました。踊りながら、辻回しのかじ取りのような役割も果たしているようです。



次にやってきたのは岩戸山(いわとやま)。


こちらは稚児も稚児人形も乗っていないようです。


岩戸山の名は「天の岩戸」から。


屋根に乗っている人形は伊弉諾尊(イザナギ)。屋形内に天照大神手力男命(タヂカラヲノミコト)の人形もまつられているそうです。


この山鉾の引き手には外国人の姿が多く見られました。


国際色豊かです。


まずは引き手が河原町通り方向へ移動し、引っ張りながら方向転換します。


こうしている間にも画面奥には四条通を続々とやってくる山鉾が見えています。


大きい山鉾を回すには水と竹が必要。


屋根に乗る人々。


方向転換完了。横から見たところ。


船鉾(ふなぼこ)がやって来ました。


その名の通り船の形をしています。



船首にはフェニックスのようなものが。


辻回し。


船のようにスムーズに回ったように見えますが、下では水をまき、竹を敷き、重労働です。


左折完了。やはり雨よけのビニールがかかっていますが、横から見るとこんな感じ。


北観音山(きたかんのんやま)。


祇園祭は1966年まで「前祭」(7月17日)と「後祭」(7月24日)の2回に分けて山鉾巡行を行っていた経緯があり、この北観音山以降は元の「後祭」で巡行していた山(後祭には鉾はなく、山のみだった)とのことです。


続々とやってくる山が見えています。


辻回し。


側面。


橋弁慶山(はしべんけいやま)


弁慶と牛若丸が五条大橋で戦う姿をあらわしています。


ビニールがかかっているのでわかりにくいですが、これが牛若丸。


こちらが弁慶のようです。


黒主山(くろぬしやま)


歌人の大伴黒主が桜の花をながめている姿をあらわしているそうです。


黒い羽織はかまの子どもたち。祭に参加する子どもの姿は多く見られましたが、今日見ていた限りでは女の子はいないようでした。


後ろには垂れ幕が。


この山は軽いのか、辻回しではぐるぐると気前よく回していたので色んな角度から見ることができました。


鈴鹿山(すずかやま)


鳥居の下にラクダが描かれています。


担ぎ手は白い独特の衣装を着ています。ボタンが付いているので、なんとなく異国情緒漂う感じです。


八幡山(はちまんやま)



鳥居には「八幡宮」の文字。


役行者山(えんのぎょうじゃやま)



役行者の人形。


ストライプの法被がシックです。


回っていきました。


鯉山(こいやま)


鯉が乗っています。


側面。


この毛氈(フェルト)は16世紀のもので重要文化財に指定されています。イリアッドの場面を描いているそうです。


次にやってきたのは浄妙山(じょうみょうやま)


宇治川の合戦での三井寺の僧兵筒井浄妙と一来法師の奮戦を人形劇であらわしているそうです。


前面にはライオン。


側面にはピラミッドとラクダの姿が。


別の角度からも人形を撮影することができました。かなりアクロバティックです。


南観音山(みなみかんのんやま)が見えてきました。



全32基の山鉾巡行の最後を飾るにふさわしいスケール。松の先端は6階だての建物くらいの高さがあるように見えます。


高所恐怖症の人には向かないかもしれません。


屋根の下には鳳凰


三人の天女が描かれているようです。


辻回し。


側面には麒麟


よく見ると屋根の上に飲み物や食べ物も用意しているようです。今日は曇り空だったのでそうでもなさそうですが、晴天時は飲み物などがないと日射病・熱中症になるのかもしれません。


最後はパトカーが通り、これで山鉾巡行はすべて通過しました。


この後またたく間に見物客や報道陣が去っていき、30分後にはいつもの週末の京都の光景となっていました。

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in 取材, Posted by darkhorse_log

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