×
コラム

「ブログ限界論」で語られなかったこといろいろ


先日の14時から15時半頃まで「ブログ限界論」ということでトークセッションにメインパネラーの1人として呼ばれたので行ってきたわけですが、なかなか刺激的でいい感じでした。会場で交わされたセッション内容自体はともかく、ここではその中において時間的都合で語ることのできなかった点や「続き」を書き出しておこうと思います。

詳細は以下。
■ブログはつまらなくなった……?


つまらなくなったのではなく、スパムブログが増えて「濃度が薄くなった」、というのが正直な感想。ただ、これはシステムと法律の両輪である程度、将来的に抑制することができるのではないかと。ただ、現在進行形の世界に住んで、今まさにここで生きているユーザーにとっては「今そこにある危機」であることも事実。「割れ窓理論」と同じで、スパムブログが目に付きやすくなると、ただそれだけで、ネットにあまり触れない人から見たブログ全体の評価は低下していくわけです。これは放置していて解決する種類の問題ではない。というのも、相手に初めて会ったときの第一印象を覆すのがなかなか難しいように、現時点ではスパムブログがSEO・SEMのテクニックを駆使して検索結果の上位を占有するケースが非常に多くあり、それを見たユーザーは、
「ブログばっかり引っかかってウザい」
「ブログの情報は役に立たない」
「何かを売りつけようとするような宣伝ブログばかりでうっとうしい」

という印象を抱きやすくなり、一種の「偏見」を持つようになるわけですね。スパムブログだけというわけではないのに、「ブログ=ノイズ」という意識に陥りやすくなる、と。

つまり、こういったノイズに多く直面している人であればあるほど、確かにブログは「つまらない」と感じる羽目になるわけです。テレビCMは7回か9回ほど見せると無意識下レベルで認知され、さらに見せることで意識上にも認知させることができるらしいので、スパムブログだらけのネット世界を見続けると「つまらない」「くだらない」と感じる可能性も同様に増大する……のかもしれません。ただ、そうは言っても全体としては「だからこそ、これからが勝負、正念場」だと感じます。もっとおもしろいものが出てくる前の、嵐の前の静けさにすぎない……と考えたいところです。

■スパムブログを排除するシステムの必要性


Googleは周知の通り、なんでもかんでも全自動化してしまうのがウリ。もちろん検索結果からスパムブログを追い出すことを心がけているのは確かですが、実際にはイタチゴッコ状態。しかしスパムメールに対抗する方法が数多く出てきたように、スパムブログを可能な限り減らす方法・技術も確立されていくのではないかと。このあたりはそれこそ、クローズドなシステムではなく、オープンソースで開発され、集合知を駆使して対抗していくのが王道になるはず。無論、スパマーの方も同様にして排除システムをくぐりぬける手法を開発していくので堂々巡りになるはずですが、たとえ堂々巡りであっても、戦い続けることが肝心なわけで。「果てしなく続く光と闇の闘い」みたいですが、その均衡状態が発生すらしていないのが、今のインターネットの抱えている問題点でもあるわけです。

おそらく、Googleに次世代型検索エンジンとして「人工知能」を研究している部署が存在するのも、このあたりの「人間の目から見れば明らかにスパムとわかるものを排除して検索結果の質を上昇させる」ためではないかと。ここは素直に、Googleがんばれ、と言いたい。(ほかの検索エンジンもみんな負けずにがんばれ)

■無数の砂粒からダイヤの原石を見つけ出す作業


全自動で完全に求める答えを導き出して処理できるレベルまでシステムがまだ到達していない以上、現時点では「人力」でそれをやるしかないわけです。それが「ソーシャルブックマーク」とか「集合知」とかいう、まだ全自動ではできない領域を多くの人間が少しずつ時間と労力を出し合って行う仕組みにつながっている、と。つまり、自分がたまたま見つけ出した面白いものをみんなに教えることによって、みんなでおもしろさを共有したり、価値を共有したりするわけですね。これによって少しずつみんなが利益を得て賢くなれる……はずだったのです。

この視点で考えると、GIGAZINEは「情報流通業」にあたるのではないか?と考えることがあります。見つけた面白い情報をピックアップして記事化して掲載し、より多くの人の目に触れるように、情報を流通させていくわけです。おそらく、この「面白いもの・価値あるものを効率的に見つけ出す仕組み」というのは究極的には各個人の細分化された嗜好に特化されたものになっていくため、最終的には一次情報やオリジナルコンテンツの発信を行うところ「だけ」が生き残ることになるかもしれず。つまり、オリジナルの情報を提供しないニュースサイトやブログは将来的に「各個人の嗜好に合わせて面白いものをピックアップするための全自動システム」に取って代わられて滅びていくのではないか?という予想が可能です。ソーシャル系サイトのさらなるパーソナライズと言えば近いイメージになるのかもしれません。要するに、極限まで個人特化されたメディアの登場ですね。そうなると社会全体を貫く「世論」とは一体どういうものになるのか、まったく想像不能です。ユートピアになるのか、あるいはディストピアになってしまうのか……それとも、別の何かになるのか……。

■現在の日本のブログの限界、リアル社会に影響力を与える力が弱い


前述してきた各種問題が蓄積されていった結果、現在の日本のブログは現実世界、特に「政治」に対して多大な影響を与えるレベルには到達していません。ネットにおける意見発信システムであるはずのブログの質が低くなっている(信頼が低下している)ため、「ネット上でどこかの匿名なやつらが無責任にわめいているだけ」という扱いを受けるわけです。これはブログだけでなく、掲示板やそれ以外のコミュニティ、SNSなどでもほぼ同様です。それどころか、日本では選挙においてネットが規制されているという始末で、本末転倒状態です。まさに「悪貨は良貨を駆逐する」がリアルタイム進行しているわけで。「所詮ネットは烏合(うごう)の衆にすぎない」という認識の方が勝っており、事実、そうなのでしょう……残念ながら。

なぜこんなことになったのか?という原因を考えてみると、日本では想像以上に各個人の趣味嗜好が細分化されてしまった結果、「徒党を組んで意見を押し通す」というパワーが欠落しているからではないかと。(ただし、現在の社会では必要だが、将来的にはこういう乱暴な手法は無くなる可能性が高いのでその過渡期なのかもしれない)。徒党を組むために必要な全体を貫く思想すら細分化されていくため、日本では海外における「自己主張の激しい人に賛同する」という動きがなかなか起きにくくなり、政治の場にまで意見が届かなくなっていくという負のスパイラルに陥っています。しかも他人と違う意見を主張して少数派を多数派にするというプロセスが働きにくく、ネットの意見をくみ上げる仕組みも、それを気にする政治家がいないのも、問題かもしれません。現時点で権益を握っている上の世代から見ると、まだまだネットに対しては「偏見」がひどく、メリットよりもデメリットが上回っており、「気持ち悪い」「理解不能」なもの、つまり「思考停止」状態になってしまっているわけです。

ここで米国の状況を見てみると、日本とはそういった文化的ベースが違うため、以下のようになっています。

「市民2.0」が2008年米大統領選挙の結果に影響を与える、米調査

調査担当者は、市民の多くがインターネットに多くの情報を依存し、それだけでなく、インターネットを最も信頼でき、かつ最もよく利用する情報源と考えていることを見いだしたとしている。例えば、87%が政治情報の収集と学習のためにニュースサイトを利用し、82%はサーチエンジンを、56%は候補者の Webサイトを、51%はブログや政治Webサイトを、40%は政治に関するオンライングループを活用していた。

対して日本の状況を見てみると、既存の会員制記者クラブ(新聞やテレビ以外は基本的に加盟すら出来ない)が政治・経済・社会の各種情報を独占するケースが多いため、ブログをやっているだけではそのあたりの情報収集力に限界が発生します。

記者クラブ - Wikipedia

記者クラブ(きしゃ-)とは、首相官邸、省庁、地方自治体、地方公共団体、警察、業界団体などに設置された記者室を取材拠点にしている、特定の報道機関の記者が集まった取材組織であり、各団体から独占的に情報提供を受ける。基本的に記者室の空間及び運営費用は各団体が負担・提供し、記者クラブが排他的に運営を行う。このような特定のメディア以外を排除する組織は、外国にそれに当てはまる組織も言葉もないため kisha clubと言う日本語がそのまま外国でも使われる。日本の報道における閉鎖的な体質の象徴として、海外メディアでも批判の対象となっている。

つまり、誰かが情報ソースを持ってくる必要があるのに、その力が今の日本のブログにはほとんどないわけです。既存のマスメディアについての問題は山ほどあるにも関わらず、それに頼らざるを得ない、という歪な構造が発生しています。記者は記者でプロとして住み分ければいいという考えもありますが、オリジナルの情報ソースを確保する道は、情報の信頼性という点において、やはり担保として必要なのでは?と考えます。スクープ的なもの、すっぱ抜き的なもの、つまり「真実」にリーチするためのチカラですね。わかりやすく言うと、GIGAZINEが主催して日本国首相の記者会見を開くことができるかというと、現状では「絶対無理」ですが、おそらく既存のブログ全部、インターネット全部が束になれば、国を動かすだけの力を持つことは可能でしょう。しかし、それが今の日本では「机上の空論」でしかないわけです。ただ、もしも実現すれば究極の直接民主制に近づくのかもしれませんし、それに対する逆の側面として、究極の衆愚政治に陥るのかもしれません。このあたりはまだまだ検討の余地があります。

■最後の希望、インターネットは個人のチカラを最大化するツールになれるか


自分のたった一票では政治も世界も変わらないし、少数派は多数派に勝てない、これが今の現実。しかし、ネットは今までと比較すればかなり少ない労力で少数派を多数派に変え、欺瞞を暴いて真実を貫くことができるだけの可能性とチカラを秘めているのもまた事実。そのツールのひとつが「ブログ」であり、今、その「ブログという仕組み」は限界に突き当たっているのかもしれません。mixiに代表される「ソーシャル・ネットワーキング・サービス」への移動、さらには若い世代の携帯電話をベースとしたコミュニケーションへの移行も根底にあるのでしょう。さらには前述した全体的な質の低下によるイメージ悪化も根本に潜んでおり、事実、検索エンジンのオプションとして「ブログを除外する」といったものも増えています。

Yahoo!検索、ウェブ検索に「ブログフィルタ」機能を追加 - Yahoo!検索 スタッフブログ - Yahoo!ブログ

「goo」、検索結果からブログを除外する「ブログフィルター」機能

また、既存のメディアはネットをどのように伝えているのか?という点も重要です。何事にも良い面と悪い面があり、一方的によいことだけ、悪いことだけというのはありえないにも関わらず、実際にはその可能性をほとんど考慮せず、一方的な批判だけを繰り返し、未来につながる建設的意見を述べず、ネガティブな側面だけを強調し続けるといったことが執拗に行われているケースがいまだに多々あります。以下はその一例。

「アッコにおまかせ」の初音ミク特集があまりにもひどくて大騒ぎに - GIGAZINE

TBS「アッコにおまかせ」の初音ミク特集に対して開発元が公式にコメント - GIGAZINE

既存メディアは既に限界点へ到達しつつあり、さらにブログというか、インターネット自体にも限界が来ているように感じられます。しかし、壁に突き当たったときにこそ、それを乗り越えるだけの「技術」や「思想」が生まれるのも確かです。そして、今までの人類の歴史上、これらの変化・変革の動きに対して逆行するとどうなるのかは明らかです。

3年後のインターネットはどうなっているのか?3年前の自分が今のネットの状態を想像できなかったように、現時点ではまったく先が見えません。だからこそ、何が起きているのかを淡々とピックアップして伝え続けることに価値があるのだ、と考えます。

皆様の考えを是非、GIGAZINEにお聞かせください。

・関連記事
「世界陸上」の真の舞台裏、運営がむちゃくちゃで現場は大混乱 - GIGAZINE

毎日新聞の新サイト「毎日jp」の発表会でさらし者にされてみました - GIGAZINE

人材派遣協会いわく「派遣は格差社会の元凶ではない」 - GIGAZINE

著作権侵害ファイルをダウンロードしていないのに金を払えと言われた - GIGAZINE

ネットコミュニティが崩壊するとき - GIGAZINE

著作権の非親告罪化やP2Pによる共有の違法化は誰が言い始めたのか? - GIGAZINE

日雇い宿無しフリーターをターゲットにする「貧困層ビジネス」の実態 - GIGAZINE

電通「鬼十則」、そして電通「裏十則」 - GIGAZINE

打ち負かされる事自体は、何も恥じるべき事ではない - GIGAZINE

in コラム, Posted by darkhorse