コラム

フリーな百科事典「Wikipedia」誕生秘話


現地時間で2007年1月15日、Wikipedia(ウィキペディア)は6周年を迎えました。

が、このWikipediaの前に「Nupedia」(ヌーペディア)というのがあったことはあまり知られていません。Nupediaが開始されたのは2000年3月。今のWikipediaと違い、専門家(基本的に博士号を取得していることが条件)によるフリーな百科事典を目指したものだったのですが、ほとんど記事が投稿されず、2003年9月に停止しています。2000年3月から2003年9月までに掲載された記事はわずか24本。というのも、専門家による査読制度が非常に厳しく、7段階もの過程を要したため。そういう一切を省いたWikipediaの方がいかに優れた仕組みだったのかがよくわかります。

しかし、本当は「Wikipedia」というのはどのような経緯で今のような形になっていったのでしょうか?そして、Wikipediaがここまで優れたものになった本当の理由は何なのでしょうか?そのあたりの経緯を順に見てみましょう。
Nupedia - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Nupedia

Nupediaに関するもっと詳しい歴史的文書は以下のWikipedia内に保存されています。

Wikipedia:Nupedia and Wikipedia - Wikipedia

上記記事の中でも「以下は日本語版だけの記事です」以降に書かれている内容はなかなか説得力があります。もともとWikipediaはNupediaと違って「大したことのない記事」を一般から募集するプロジェクトとして開始されたにもかかわらず、そのオープン性ゆえにほかのLinuxのようなオープンソースのプロジェクトと同じようにして上手く機能し、結果的にはWikipediaの方は大成功し、Nupediaの方は閉鎖してしまいました。

一応、Nupediaにも後継のプロジェクトがあるにはあるのですが……以下のような有様です。

Nupedia, the free encyclopedia
http://nunupedia.sourceforge.net/

しかし、ここで肝心な点はもともとのNupediaの思想そのもの。

つまり、本質的には「選ばれた人が自由に記事を投稿・編集できるシステム」というものを目指していたのだという事実。よくWikipediaというものを説明する際に「誰でも自由に投稿し、そして編集できる」というような表現をしますが、これは「何を書いても良い」わけではない、ということです。

ではWikipediaで一体何が良かったのかというと、以下の記事の一節が非常に的確にそれを示しています。

Wikipediaを商売人として考える - シリアルイノベーション [ITmedia オルタナティブ・ブログ]

dukeさんが「Wikipedia の真の強みは、『当事者が記事を書いている』という点にこそある。」と指摘されているのは、非常に興味深いと思います。

ただ、私としてはもうすこし拡大して考えたいところです。すなわち、「誰にでも相当程度の専門領域はあるのであり、その領域についてはWikipediaに無償で書くことをむしろ喜んで行う。そうした執筆主体が集合することで、記述の正確さに関する切磋琢磨メカニズムが働き、そのメカニズムが半永久的に記述を練り上げていく」といったあたりでしょうか。

自分が当事者でない分野についても、“かなり詳しい”という人はいるはずで、そういう人が、“ある程度”正確な記述をすると、その“ある程度”が別な執筆主体によって改められ、“限りなく”正確な記述に近づいていく。そのような知識の集約メカニズムを持っているところがすごいなぁと思います。


「記述の正確さに関する切磋琢磨メカニズム」とありますが、一般における大きな誤解はこの切磋琢磨による編集が決して「匿名の誰かわからないユーザー」によって行われているわけではない、ということ。大体の場合、元の粗雑な記事を磨き上げているのは一部の登録ユーザーであったりします。そして、せっかく磨き上げた記事がいわゆる「荒らし」によって改変され、ぐちゃぐちゃにされた場合は「管理者」が出動します。

荒らしのほとんどは「ある特定の主張」のためにWikipediaを利用しようとする傾向が強いのですが、Wikipediaは主張の場ではなく、あくまでも「百科事典」であるわけです。が、投稿するのも人間なら編集するのも人間であるわけで。人と人がいればそこには必ずもめ事とか論争が発生するのは当然。これといったリーダーが表からは見えないWikipediaですが、こういう問題が発生した場合の指針というものが一応存在しています。

ウィキペディア日本語版 管理者インタビュー : Hotwired

「中立的な観点」という項目がよくできているんですよね。他にポリシーというものがないぐらい、中心的な概念ですね。だから、何かあった時は、「ここを参照してくれ」と。


以下がその「中立的な観点」という項目。ものすごいボリュームですが一読の価値ありです。これがWikipediaをWikipediaたらしめている根本の思想であると言っても過言ではありません。

Wikipedia:中立的な観点 - Wikipedia

読んでいて歴史的経緯の中で磨かれてきたのだということがよく分かるのは「批判と回答」の部分で、「ちなみにこのポリシーは、もともとはある哲学者によってヌーペディアのために作成されたものです」とあるように、哲学者がそのベースを考えただけのことはあります。

なお、英語の本家Wikipediaと日本語版のWikipediaの質の維持という点に関しては決定的な相違があり、この点については留意する必要性があります。その根本的な原因ではないかと一般に推測されているものが以下の点です。まず英語版の場合。

Wikipediaは果たして「オープンソース」なのか - CNET Japan

実際には投稿する際に身元を明かしている投稿者も多いが、なかには名乗らない者もわずかに存在する。


泣き寝入りしかないのか--Wikipediaの名誉棄損問題が投じた波紋 - CNET Japan

Wikipediaは5日、今後、無登録ユーザーによる記事の投稿は認めないと発表した。Wikipediaの会員は、登録時にいくつかの個人情報を提示しているので、自分が書き込んだ記事の内容についてより大きな責任を負うことになる、という理屈だ。


対して日本語版は以下の通り。

ウィキペディア日本語版 管理者インタビュー : Hotwired

Q:そのほか、日本版の特徴ってありますか?
今泉 2ちゃんねるの影響がとても大きいですね。ユーザーが登録しようとしないんですよ。6割強が登録しないままのユーザーなんですよね。他の言語は、3割以下なんです。私は、英語版のほうも見ていたりするので、見比べているとちょっと不思議ですね。
岩瀬 ユーザー登録しても匿名には変わりないのに、自分でつけた名前も名乗りたくない、ということでしょうね。


こういう状態を受けて、以下のようなことが書かれたこともあります。

池田信夫 blog 2ちゃんねる化するウィキペディア

このようにウィキペディア日本版の質が悪い原因は、ウェブで匿名が当たり前になっていることが影響していると思われる。歌田明弘氏によれば、アメリカのブログの8割は実名だが、日本の9割は匿名だという。日本でこれほど匿名性が強い原因は、実名で発言すると会社ににらまれるとか、友人にきらわれるなど「評判」が傷つくことを恐れているからだろう。


しかし実際にWikipediaを利用していて、さ極端なまでに質が悪いと感じたことはおそらく大多数の人はあまりないと思われます。(ただし、そもそも調べたい事項の項目がないという場合は多々あるはず)。本来であれば発端であるNupediaのように専門家によって書かれるべき百科事典がなぜに素人の集合でこれだけの質(あくまでもこの程度の質という意味)が維持できているのか?この点については以下の指摘が非常に的確ではないかと考えられます。

Rauru Blog >> Blog Archive >> Wikipedia の強みと弱み

そう、Wikipedia の真の強みは、「当事者が記事を書いている」という点にこそある。
ジャーナリストは所詮取材者であって、当事者にはなれない。当事者の方が正確な情報をいちはやく掴めるのは当然のことである。集団知とかいったことは実はあまり関係ない。ただ、当事者を広く集めるのに現在の Wikipedia のシステムが向いている、という話なのだ。

このことは逆に Wikipedia の弱みにもなる。当事者がいなければ力を発揮できない。当事者でない人が100万人集まろうと、当事者1人分の仕事をすることはできないのだ。例えば、mara が以前書いた記事に、以下のような話が出てくる。

* Wikipedia では、少し前まで、アフリカ諸国に関する記事よりもトールキンの中つ国に対する記事の方が多かった
* コンゴ戦争に関する情報よりも Deep Space Nine のドミニオン戦争についての情報の方が詳細だった

つまり、初期の Wikipedia においては、アフリカ問題についての当事者がほとんどおらず、しかし指輪マニアやスタートレックマニアとしての当事者は圧倒的に多かったので、記事の情報がそちらに偏る結果となっていたのだ。現在ではこの問題はかなり是正に向かっていると聞くが、それは英語版での話であって、日本語版 Wikipedia ではまだまだコミック/アニメ/ゲーム/Internet 分野に情報量が大きく偏っている。


つまりWikipediaというのは「集合知の実例」と言うよりは「専門知を効率よく収集するシステム」である、と。

システムであるからにはやはり管理者が存在し、大部分の匿名ユーザーからの編集、あるいは登録ユーザーからの記事追加、あるいは荒らしについて管理を行っているわけです。まるで一般のマスメディアの報道ではWikipediaには管理者などおらず、自浄作用が働き、あらゆる人の善意が集結した集合知の結晶みたいに言われていますが、その根本的な部分はNupediaの頃からあまり変わっていないというわけです。

では次に、実際にWikipediaの管理というのはどのように行われているかを見てみましょう。

・次の記事
Wikipediaの舞台裏「Wikipediaの管理者」とは?

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in メモ,   ネットサービス,   コラム, Posted by darkhorse

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